受け入れがたい「離婚」、そして3月11日を迎える…

 「結婚当初から跡継ぎを望まれていたことは分かっていましたし、もちろん私も子どもをほしいと思っていました。でも、妻として経営を支えてきたことも、女として子を授かろうと頑張ったこともすべて否定された気持ちになって、少し実家に帰ることに。12年間の結婚生活で実家に帰ったのはその時が初めてで、1週間ぐらいで戻るつもりでしたが……。図らずも、そのまま嫁ぎ先を出ることになったんです」

 それは、2011年1月のこと。深く傷つき落ち込んで、実家に引きこもる日々が続く。唯一の外出は、徒歩数分のスーパーへの買い物のみ。すでに実家の母は料亭を畳んでいたため、何もすることはなく、ただ鬱々とした時間を過ごした。そして2カ月後、3月11日に東日本大震災が起きた。

 実家は激しく揺れたものの、部分的な破損で済んだ。室内はタンスや棚が倒れてメチャメチャな状態になりはしたが、佐藤さんも母親も幸いけがはなかった。残り物のおかずや冷蔵庫にあった食品は、傷みやすいものから順に石油ストーブで温めて食べて数日間をしのいだ。電気が復旧したのは、震災から約2週間後だった。

 「1カ月もすると、家にあった食料も日用品も底をつき、隣の石巻市の大きなスーパーへ買い出しに行きました。店頭のワゴンには人だかりができていて、玩具や文具には子どもたちが無邪気に群がっていて、思わず顔がほころびました。ところが、そこで聞こえてきたのは『弟が死んだ』『母ちゃんはダメだったけど、父ちゃんは助かった』『じいちゃんがまだ戻ってこない』というもので……。見渡せば近くにいるはずの大人の姿はなく、近くの避難所から来ている様子。あどけない横顔と受け入れがたい会話のギャップに打ちのめされつつ、自分の小ささを思い知らされました。彼らは家族の命を奪われたことを受け入れているのに、私は離婚をつきつけられたことを受け止めきれず、すべてを失った気になっている。私には命がある。子どもたちが前を向いて強く生きているのだから、私にできないわけがない。死生観が変わったというのでしょうか。震災後、どんなことがあっても、命がある私はなんて恵まれているんだ! と思うようになりました