専業主婦から、47歳で由緒ある神社の宮司に就任した東川(うのかわ)優子さん。途絶えていた祭事を復活して人を呼び、地域の氏子との関係を築き直した。クラウドファンディングを利用したプロジェクトにも挑戦。人と地域のよりどころとしての神社を1000年守るための方法を模索している。

(上)「神様に呼ばれ」47歳で主婦から宮司 元夫の実家継ぐ
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途絶えていた祭事を復活、年3回から20回に

 大阪から奈良県御所市に嫁ぎ、専業主婦として陶芸家の夫を支え、何不自由なく暮らしていた東川優子さん。裕福だった実家がある日倒産し、生活に追われる日々が始まる。精神的に追い詰められ、ふと足を踏み入れた葛木御歳(かつらぎみとし)神社で、突然「神社の再興」を決意。42歳で神職の資格を取った。

 古い歴史がありながら寂れていた神社を修復し、ネットを通じて情報を発信。徐々に他の地域から訪れる人が増え始めたが、祭事に参加する氏子の人たちは相変わらず少なかった

 「後になって知ったのですが、うちの神社は、4人いる氏子総代だけが祭事に参加するという暗黙の了解があったそうです。その他の氏子さんに呼びかけてもなかなか来てもらえませんでした」。しかし、昔の神社のお祭りは盛大で人もたくさん集まっていた。地域の古老に聞くと、夜店が出て相撲の奉納などもあり、にぎやかだったという。

 神社の古文書は散失してしまって詳しいことは分からなかったが、5月の御田祭で行われるお田植え神事については、少なくとも戦後70年以上は途絶えていたようだった。東川さんが神職になった当時、行われていた祭事は正月と春祭り(御田祭、5月)、秋祭り(10月)の年3回。もっと多くの人に来てもらうために、昔の祭事を復活させようと東川さんは考えた。

 途絶えていた祭事の中でも2月、その年の農事を始める前に五穀豊穣(ほうじょう)を願う祈年祭は、稲の神を祭る御歳神社にとって最も重要な祭事だった。祈年祭は宮中でも行われ、その祝詞の中では「みとしの皇神(すめがみ)」と最初に呼び掛けられている。「祈年祭をまず復活させなければと思いました。皇学館の先生方にも『東川さん、頑張ってくださいよ』と励ましていただきました」

 2005年に祈年祭と対になる新嘗(にいなめ)祭、翌年2月には祈年祭を復活。2009年には5月の御田祭でお田植え神事を復活させた。さらに毎月1日には月次祭、今年からは祖霊社春分祭・秋分祭と、現在は年20回以上の祭事が行われている

祖霊社では年2回、春分祭と秋分祭を執り行う
祖霊社では年2回、春分祭と秋分祭を執り行う