神戸の人気中国料理レストランのマダムをスッパリやめて、心機一転、東京での新しい暮らしを始めた河野恭子さん(54)。彼女の行動力が子どもの頃から抱いていた夢を手繰り寄せ、48歳でキャビンアテンダント(CA)に転職。しかし、そこに至るまでに、大きな悲しみを乗り越えなければなりませんでした。

(上)夫婦で作った人気レストラン 震災は乗り越えたが離婚で閉店
(下)48歳で挑戦したCAへの道 夢は持ち続ければかなう  ←今回はココ

 神戸市で人気レストランを夫婦で経営していた河野恭子さんは、2012年5月、離婚を機に店を閉じて東京に住まいを移した。

 「転居した理由は、離婚と閉店が同じタイミングでしたので、気持ちを切り替えるために神戸を離れたかったことが大きいです。そして、閉店と同時に、東京のホテルの中国料理店に就職が決まっていたので、東京で一人暮らしを始めました。

 実は、東京へ来てからも離婚の手続きが完了するまで少し時間がかかってしまいました。でも離婚が成立したときの解放感は最高の気分でした」

自由を手に入れて思い出したことは、ずっと胸の奥にしまっていた空への憧れ
自由を手に入れて思い出したことは、ずっと胸の奥にしまっていた空への憧れ

 東京で就職したのは、一流ホテルの中国料理店。大事なお客様をご案内するエスコートの役割でソムリエの資格も生かせる仕事だが、「ホテルの仕事は私には合わなかったんです」と河野さんは振り返る。

 転職を考え始めたとき、やっぱり飛行機に乗りたい、航空関係の仕事に就きたいという思いに立ち返った。たまたま就職情報のフリーペーパーで、空港ラウンジの求人を見つけて、羽田空港のラウンジに転職を果たす。東京に来て3カ月目のことだった。