ある朝突然、悲劇はやってきた

 1995年1月17日。ソファで眠っていた河野さんは朝5時45分に目を覚ます。

 「起き上がって、洗面所からベッドルームに向かう途中で、ズンズンと震動が始まったと思ったら、5時46分、下からものすごい衝撃が突き上げてきて。最初は突然戦争が始まったのか、もしくは悪魔の仕業でこの世が終わるのかと思ったほどの激しい衝撃でした」

 阪神大震災だ。河野さんが住んでいたのは震源地に近い芦屋。経験したことのない直下型地震の衝撃を、最初は理解できなかったという。

 「訳が分からないものの私はどこか冷静で、ガスの元栓を閉めて夫と部屋の外へ出ました。近所の人が近くの駐車場に集まってきていて、地震が起こったのだとようやく理解できましたが、血だらけの人が歩いてきたり、死体が運ばれてきたり、そこここで火の手が上がって、地獄絵図のようでした」

 幸い、自宅マンションは倒壊の危険もなく住み続けることができたが、ガスや水道のライフラインは途絶え、食事や入浴など、生きるために必要なこともままならない。さらに、店舗は大きな被害に遭っていた。

 「店舗は、テナントビルの1階にあって、半分押し潰されていました。潜り込むようにして中に入り、お店から使える備品を引っ張り出したのですが、今思えばいつ倒壊してもおかしくない、危険な行為ですよね。でも、もう私は次のことを考えていたので必死だったんです」