どこにもないレストランをつくりたい

 「料理人だった9歳年上の彼の第1印象は、おいしい賄いを作ってくれる人です。とにかく、料理が抜群においしくて、正直、これまでの人生で彼の作る料理以上においしい中国料理にはいまだ出合えていません

 5年間の交際を経て24歳で結婚。河野さんは航空会社の仕事を続け、夫は腕を見込まれて当時の新神戸オリエンタルホテルのレストランで料理長を任されて忙しい日々を送りながら、独立、開業を目指していた。

 「結婚するときに、家を買うか、お店を持つかどっちがいい? って聞かれたんです。私は『お店』と即答しました。家を建てたらそれまでだけど、お店を持てば頑張って家も買えるでしょ? と」

 店舗の物件探しや契約、広告の手配やアルバイトの教育、備品の手配やインテリア、メニューの作成など、厨房以外の開店準備は河野さんが一手に引き受けた。1994年5月、27歳のときに念願の中国料理レストラン「冠三宝」を開業、航空会社を退職し、河野さんはマダムとして接客の要を担った

 お店のコンセプトは、河野さんのたっての希望でワインを楽しめる中国料理レストランにしようと決めた。「いわゆる町中華ではない、フレンチレストランのような雰囲気で、料理とワインの組み合わせを楽しめる、どこにもない店にしたかったんです

 当時はまだ珍しかったコンセプトは話題になる。開店してすぐ、関西で最も信頼を集めるグルメ雑誌『あまから手帖』や、『Hanako』に取り上げられたこともあって、瞬く間に人気店となり、経営は順調な滑り出しとなった。

 河野さんは夫と共に寝る間も惜しんで働きながらも、休みの日にはバレエのレッスンも続ける充実した日々を過ごしていた。しかし、開店からわずか8カ月後、状況は一変する