村山陽子さん(55歳)は、アフリカで環境衛生製品などを販売する貿易会社の代表取締役であり、また東京・銀座でクラブを経営するオーナーママの顔も持つ。さらに今年、国学院大学に入学。神職の資格取得を目指して猛勉強中だという。50代でやりたいことに躊躇(ちゅうちょ)せずパワフルに突き進み続ける村山さんだが、その半生は波瀾(はらん)万丈なanother STAGEの連続だった。

(上)最愛の父の死…中1から始まる仕事人生。弟妹を育て上げる
(中)水商売をやめて35歳で早稲田入学、結婚も… 突然の鬱
(下)コロナ禍の銀座ママ 橋本病を乗り越え神職目指し勉強中 ←今回はココ

 村山陽子さんは「自身の半生には5つのanother STAGEがあった」と振り返る。先の2回の記事では、父の死後、家計を支えるために中1から働いて弟妹を育てた第1~第2ステージ(「最愛の父の死…中1で始まる仕事人生。弟妹を育て上げる」)、35歳で大学に入学して結婚、起業もしたが、鬱を患った第3ステージ(「水商売をやめて35歳で早稲田入学、結婚も… 突然の鬱」)をたどった。

13年間の鬱から抜けて、次の夢へ動き出す

 最終回の今回は、50歳になり、かつての夢を実現する第4ステージから始まる。「自分の好きな人たちが集えるお店を開きたい」という夢へ向かって動き出したのは48歳のとき。13年間苦しんだ鬱から抜け出した瞬間にパッと思い出したという。

 「私は20代後半から、40人以上のスタッフを抱える大きなクラブを大阪・北新地で経営していました。大学受験のために35歳でお店をやめたとき、50歳になって機会があれば、自分の好きな人だけが集まれるお店をしたいと思っていたのです。もともと水商売を始めたのは家計を支えるためでした。だから次は、自分が一番楽しめるお店をつくりたいと思いました」

村山さんは48歳のとき、13年間苦しんだ鬱から抜け出して、かつての夢を思い出した。「自分の好きな人たちが集えるお店を開きたい」
村山さんは48歳のとき、13年間苦しんだ鬱から抜け出して、かつての夢を思い出した。「自分の好きな人たちが集えるお店を開きたい」