佐賀県庁でさまざまなプロジェクトに関わり、現在はコスメティック構想推進室長を務める北村志帆さん。「せっかく学んだ中国語を私は生かしていない」という思いに導かれるように上海に渡った日から3年、経験を積んだ先に待っていたのは佐賀県と世界をつなぐ仕事だった。
(上)仕方なく学んだ中国語を生かして積んだ経験が道を開いた
(下)民間から県庁へ 佐賀県をアジアのコスメ中心地に ←今回はココ
佐賀の食を海外に売り出すのが最初のミッション
2006年に北村志帆さんが入庁したとき、佐賀県庁は県産品を海外に流通させるため、海外のマーケティングについて知識がある人を求めていた。
「最初から自由にやらせてもらいました。中国本土は輸入規制が厳しいので、最初は台湾にアプローチしました。現地の商社の人たちと仲良くなるために毎日電話したり、現地でフェアを開催したりして、特にみかんをたくさん輸出したんです。現地は日本の果物が大人気でしたから」
北村さんの主な仕事は、農林水産商工本部の流通課で県の農産物と加工食品を海外で流通させること。イベントや商談で、多いときは月に2回くらい現地に行く。また県内の生産者を訪ね、「海外に販路を広げませんか?」と話をして、海外でフェアなどの機会を用意して出品できるように受け皿をつくる。そのために現地で佐賀の特産品の認知度を上げるべく奮闘する日々だ。
頑張ったかいがあり、当時台湾でハウスミカンといえば佐賀県と認知されるようになっていた。また同時に、商社マンのように輸出の手続きなど事務仕事も含めて何でも自分でやる必要があり、多忙を極めていた。