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仕方なく学んだ中国語を生かして積んだ経験が道を開いた

(上)コンサルを辞め中華料理店でアルバイト。中国へ渡るきっかけは父の涙


近年、地方自治体などの行政組織で民間出身の人材の登用が増加している。佐賀県庁でコスメティック構想推進室室長として活躍する北村志帆さんも、海外でマーケティングの経験を積み民間企業から県庁に入った1人。ただ、県庁に至るまでの道のりは波瀾(はらん)万丈だった。

(上)仕方なく学んだ中国語を生かして積んだ経験が道を開いた ←今回はココ
(下)民間から県庁へ 佐賀県をアジアのコスメ中心地に

就職氷河期、中国語を生かそうとコンサルの道へ

 北村さんは佐賀県の出身。高校まで佐賀で過ごし、神戸市外国語大学に進む。本当は英語を学びたかったが偏差値が足りず、高校の担任に「中国語ならなんとかなる」と言われ、中国学科へ進んだ。仕方なく学んだ中国語が、後に彼女の運命を開いていく。

 当時は就職氷河期で、希望だった商社に資料請求しても反応なし。「銀行員だった父が知っている東京のコンサルティング会社が中国進出関連のコンサルを始めていて、中国語が話せる人材を探していると聞きました。頼み込んでなんとか面接にこぎつけ、入社しました」と北村さんは当時を振り返る。

 「父も銀行員として融資先に対して、厳しいことでも相手のためになりそうなことはきちんと言っていたので、私も父のようになりたいと思っていたのだと思います」

北村志帆(きたむら・しほ)<br>佐賀県産業労働部 ものづくり産業課 コスメティック構想推進室 室長
北村志帆(きたむら・しほ)
佐賀県産業労働部 ものづくり産業課 コスメティック構想推進室 室長
1973年佐賀県生まれ。中国・上海のコンサルティング企業において日本企業の中国進出サポートやマーケティング調査を推進後、2006年に佐賀県庁入庁。農林水産商工本部や国際・観光部など複数部署にて国際戦略や上海デスクの代表を担ったほか、県の施策にデザイン視点を導入する「さがデザイン」担当として「2017年グッドデザイン賞ベスト100」受賞に貢献。20年10月より現職。

 ところが、1990年代半ばに起こった中国進出ブームは90年代後半には下火になっており、入社した途端に中国関連業務の部署が廃止されてしまった。

 金融機関向けのコンサルティングを行う部署に配属され、銀行や証券会社の支店長に電話をかけたり会議に参加したりして、人材育成や営業推進について相談に乗るというのが主な業務だった。

 直属の上司は社内でも有名な厳しい人で、キツイ言葉を投げかけられる日々だったが、1度だけ上司にほめられたことを、北村さんは鮮明に覚えている。

 「ある地方の信用金庫の報告会を1人でやっていいと任せてもらえたんです。ところが行ってみると先方からさんざん嫌みを言われて、『上司の仕事を自分が台無しにした』と悔しくて泣きながら上司に電話したら、『よくやった』と言ってくれて、それまでの日々が腹に落ちた気がしました」

 そこから部下をもってリーダーとして新しいビジネスモデルを開発するなど頑張っていたのだが、入社5年で会社の方向性が大きく変わったことを機に退職することにした。28歳のときだ。その後、北村さんの人生も大きく方向転換する。

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