村山陽子さん(55歳)は、アフリカで環境衛生製品などの販売をする貿易会社の代表取締役であり、また東京・銀座でクラブを経営するオーナーママの顔も持つ。さらに今年、国学院大学に入学。神職の資格取得を目指して猛勉強中だという。50代でやりたいことに躊躇(ちゅうちょ)せずパワフルに突き進み続ける村山さんだが、その半生は波瀾(はらん)万丈なanother STAGEの連続だった。

(上)最愛の父の死…中1で始まる仕事人生。弟妹を育て上げる
(中)水商売をやめて35歳で早稲田入学、結婚も… 突然の鬱 ←今回はココ
(下)コロナ禍の銀座ママ 橋本病を乗り越え神職目指し勉強中

 村山陽子さんは自身の半生を振り返り、「5つのanother STAGEがあった」と話す。前回記事(「最愛の父の死…中1で始まる仕事人生。弟妹を育て上げる」)では、父の死、母の再婚をきっかけに、中1からアルバイトを始め、母の離婚後は一家の大黒柱となり、クラブホステスとして働き始め、自分のお店を構えるに至る30代半ばまでを追った。

 そして今回は、勉強に目覚めて学びから起業へとつなげていく第3ステージ、30代後半から40代を振り返る。飛躍のきっかけは、大阪・北新地でクラブのオーナーママをしていた30代で今の夫と出会い、付き合ったことだった。

いつの間にか「勉強する夢」を忘れていた

 「中学生のときから休みなくずっと働き続けてきて、ある日、ふとわれに返ったんです。私は何のために水商売をしているんだろう……って。4人の弟妹を一人前にさせたら、大学に行って勉強しようと思っていたはずなのに、いつの間にか夜の世界にどっぷりつかって、勉強する夢を忘れていました。それを、お店で知り合った主人が思い出させてくれて『水商売、やーめた! 勉強しよう』と思い立ちました」

「ある日、ふとわれに返ったんです。私は何のために水商売をしているんだっけ……って」と振り返る村山陽子さん。夜の世界にどっぷりつかっていた
「ある日、ふとわれに返ったんです。私は何のために水商売をしているんだっけ……って」と振り返る村山陽子さん。夜の世界にどっぷりつかっていた