「女はグラウンドに来るな」と言われ続けた

 太田垣さんは当時、女性初の広報担当として、ファン向けの広報誌の編集・発行や取材対応などを一人で担当していた。「今でこそプロ野球で女性の番記者や球団広報はたくさんいると思いますが、当時、女性がグラウンドに出るとか、プロの勝負の現場に出るという前例がほとんどなかったんです」

 選手からは露骨に「女がチョロチョロするな」と言われたり、無視されたり怒鳴られたりした。「それでも広報誌を作らないといけないので毎日球場に通って、どうやったら受け入れてもらえるだろうと必死で考えました。今で言えばハラスメントに相当するのでしょうが、それがまかり通る世界だった」

 当時は男女雇用機会均等法が施行されて日も浅い。ましてプロ野球は厳然とした男性だけの世界。選手たちにとっては高校野球の頃から、女子マネジャーはいても決してベンチには入らずスタンドで応援するのが常だった。「女性が現場にいることに彼らも戸惑っていたんだと思います」

罵声を浴びながら続けた「大きな声でのあいさつ」

 毎晩、12球団の選手名鑑を見て選手の背番号と顔と名前を覚え、翌日球場に行って罵声を浴びながらも、大きな声で「おはようございます」とあいさつを繰り返した。悔しくて我慢できないときは外野席側のトイレまで行って泣き、顔を洗ってからグラウンドに戻っていた。それを繰り返すうちに、会話をしてくれる選手が一人増え二人増え、やがて当時のスター選手が味方になってくれたことで選手たちの雰囲気も一変した。

 「離婚して子どもと二人で生活するようになって、実家も頼れず仕事も休めず、子どもの預け先も見つからないときもありました。その頃は近所で会う人会う人に、球団にいた頃のノリですごく大きな声であいさつをしていました。あいさつを返してくれる人も、くれない人もいますが、何回か会っていると会話ができるようになる。そして『実は子どもが……』と話すと、じゃあ預かってあげるよと言ってくれる人がたくさん現れました。今でも取りあえずあいさつは大きな声でします。それが受け入れてもらう最初の一歩かなと思います」

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取材・文/秋山知子(日経ARIA編集部) 写真/鈴木愛子