離婚後、司法書士を目指して6年間の受験勉強生活

 太田垣さんは兵庫の由緒ある家に生まれた。読書と、文章を書くことが好きで学生時代には出版社でアルバイト。短期大学を卒業後、阪急電鉄から経営が譲渡された直後のオリックス・ブレーブス(現オリックス・バファローズ)球団に、初の広報担当として入社した。

 取材の対応や広報誌の編集に3年間携わった後に退社し、両親の希望でお見合い結婚。息子を授かったが、生後半年の頃、夫婦間の信頼関係が大きく揺らぐ。太田垣さんは離婚を決意した。

 「もしこのまま離婚せずにいくなら、自分がものすごく大人になって、子どもの前で夫婦仲の悪いところをわずかでも見せない生き方ができるのか。そう考えたときに、それは無理だと思いました」

 離婚を許さなかった実家とは疎遠になり、援助は受けられなかった。「手に職もなく、事務職の経験もない専業主婦でお嬢様育ちの自分が、普通に働いて息子を大学に行かせてやれるだろうか。お金がないから行かせられないとは言いたくない。そのためには資格を取れば何とかなるかもしれない。取らなきゃ駄目なんだと思い込みました」

勉強と仕事と子育て、睡眠3時間が続いた6年間

 司法書士に狙いを定めて、半年間予備校に通い、その後は独学で勉強した。しかし合格率は3%前後という難関試験。子育てと仕事で勉強時間の確保も難しい。5度目の受験で合格するまでに、丸6年という時間を要した

 「あの6年間は、自分のためだけに使える時間はたぶん年に10時間ぐらいでした。夕方まで仕事をして息子を迎えに行き、寝かしつけて家事を済ませて、勉強を始めるのは夜11時ごろから。睡眠時間は毎日3時間。週末は金曜の夜から土曜の朝まで徹夜で勉強して、朝は子どもを公園に連れて行って遊ばせ、昼寝をさせておいてまた勉強……。自分がいつ寝ていたのかも覚えていませんし、いつもお金がなくて」

 元夫からの養育費も滞り、1カ月の食費はわずか1万円だった。「食材のメインはもやし、キャベツ、たまに買えるのが鶏肉。近所のパン屋さんがただでパンの耳をくれたので、半分は冷凍してパン粉に、半分はいため物に入れてかさを増したりしていました」

 30代での壮絶な勉強と仕事と子育ての日々だが、不思議と悲壮さは伝わってこない。その頃の太田垣さんを支えていたのは息子の存在、そして「あのしんどい日々を乗り越えられたんだから、きっと何でもできると思っていた」という、結婚前に働いていた球団での経験だった。