弟の病で「骨髄バンク」の前身となる活動に励む
初の女性営業職として仕事にまい進していた入社1年目、19歳の弟が骨髄のがんに侵されていることが分かった。「骨髄異形成症候群という病気で、治療には白血球の型が合う骨髄を移植する必要がありました。その確率は4000~5000人に一人といわれ、家族はただただ悲観に暮れていましたが、その中でも私は『できることがあるならやろう』と適合者を探すために骨髄を集めることを考え始めていました」
葭野さんはまず、当時の上司であった部長に事情を説明し「弟の見舞いに行きたいので残業を減らしてほしい」と願い出た。すると上司は「うちの社員の血液をできるだけ集めよう」と提案してくれたのだ。
多くの社員が協力してくれたこの活動を、弟の入院先であった東京大学医科学研究所付属病院の教授が厚生労働省の知人に話したことで、厚生労働省から葭野さんにある依頼がきた。「骨髄バンクを立ち上げたいと思っているので、TOTOの顧問の王貞治さんをメインキャラクターにできないか」というものだ。そこで葭野さん自ら王さんに願い出て、骨髄バンクが立ち上げられたのだ。
活動開始から約2年後、ついにTOTOの社員から合致する骨髄が見つかった。ただ、その時にはもう間に合わず、弟は息を引き取った。