弟の死を機に、41歳で父の会社を受け継ぐことになったヨシノスペースデベロップメント代表の葭野一恵(よしのひとえ)さん(55歳)。もともとは経営者になることすら考えていなかったというが、代表に就任してから今年で14年がたとうとしている。売却という手段を選ばず、夫の反対にも耳を貸さず、事業を継いだのにはある思いがあったからだと話す。

(上)弟の死により家業を継承 夫の反対を押し切り代表就任 ←今回はココ
(下)大企業のシワ寄せ受けたくない 下請けを断つ代表の計算

 売り上げの7割を占める取引を終了し、新たなステージに挑戦している会社代表がいる。リフォームやインテリアコーディネートを主軸事業とするヨシノスペースデベロップメント代表 葭野一恵(よしのひとえ)さんだ。これからの会社のあるべき姿を考え、大きく方向転換するための舵(かじ)を切ったばかりだ。

ヨシノスペースデベロップメント代表 葭野一恵さん
ヨシノスペースデベロップメント代表 葭野一恵さん
1965年東京生まれ。共立女子大学文芸学部を卒業後、東陶機器(TOTO)に入社。2007年にヨシノスペースデベロップメントに入社し、2008年同社代表取締役に就任

女子大生の卒業後の進路は限られていた

 葭野さんは、東京・調布市で家具店「ヨシノ家具」を経営する父母の下、3人きょうだいの長女として育った。周りの友達の母は専業主婦ばかりだったが、自分の母が経営に参画していることに関しては特に何も思うこともなく、「どの家とも変わらない普通の家庭だと思っていた」と話す。「常に家に住み込みの社員が4〜5人いて、落ち着かないこともあった」と感じつつも、何不自由なく育ち、両親から会社を継いでほしいというプレッシャーもなく、私立の女子校に進み、そのまま付属の大学に上がった。「将来は結婚して、でも何かしら仕事はしていくんだろう。できれば母のように経営者の夫を支えるような仕事ができたらいいな」とは漠然と思っていたという。

 「高校生だった当時、付属校の友達の間では『女性なんだから大学はどこにいっても一緒だよね』と話していて、多くの子がそのままエスカレーター式に付属大学に進学しました。というのも、その頃の女性の大学卒業後の進路といえば、家事手伝いか、結婚か、縁故採用での就職がほとんどでしたから」

 その頃とは、男女雇用機会均等法が施行される直前のことだ。男女雇用機会均等法は、葭野さんが大学在学中の1985年に制定され、1986年に施行された。

 葭野さんが大学を卒業し、TOTOに入社したのは、1987年。TOTOでは男女雇用機会均等法施行後初の採用であり、縁故ではない採用だった。