「なぜあんなに楽しくなさそうにしていたんだ?」

 卒業後、日本の薬を世界に届ける仕事がしたいという強い思いで、日本の製薬会社への就職を希望したが、新卒で国際部門の募集はなかった。海外に拠点を持っている製薬会社の人事部に片っ端から直接電話したところ、1社だけが真面目に取りあってくれた。当時、アルツハイマー型認知症治療薬「アリセプト」を持っていたエーザイだ。

大学の研究室で。日本の医薬品を世界に届けるという思いに燃えていた
大学の研究室で。日本の医薬品を世界に届けるという思いに燃えていた

 入社2年目で念願の国際部に配属となる。しかし当時の上司が海外出張に行くことを渋る理由が「うちの娘と同じ歳の女性を1人で海外出張に行かせるなんて心配」だと知り、ショックを受けた。

 「男性社員であれば言われなかったであろう発言はショックでしたし、ふてくされもしました。でも会社自体は多様性を尊重する文化があり、『絶対誰かが見ていてくれる。ふてくされたらダメだよ』と周囲から励まされました。実際にある大きな国際会議で、後ろの方で事務仕事に走り回っている私を常務が見ていたんです。後で呼び出されて『なぜあんなに楽しくなさそうにしていたんだ。君は何がしたいんだ』と聞かれました」

 そのとき、愚痴ではなく普段思っていた医薬品のグローバル開発への思いや会社の問題点に関する改善案を一気に訴えた櫻木さん。常務はそれを面白がって聞き、間もなく海外との窓口業務ができる部署に異動になった。

 海外に製品を出す際に各国の規制を満たしつつ効率的に業務を進める方法を提案したり、海外向け資料を作成する際に日本と海外との間に立ってアレンジするのが主な業務内容だ。英語力があっての業務。まさに日本の薬を海外につなぐ仕事でとても充実していた。

自分が評価されているのか、英語が評価されているのか

 「ただ、同時に自分の仕事ぶりが評価されているのか、英語ができるからやらせてもらっているだけなのか、それともひいきされているのかが分からなくて、インポスター症候群のようになっていた時期もありました。海外の規制当局との会議に参加させてもらうときなど、私でいいのかなという不安もありました。

 それに社長は当時、外国人、女性、若手の活用に力を入れ始めていました。帰国子女で薬学部出身の人はほとんどいませんでしたから、英語も日本語もできる若い女性なんて便利な存在ですよね。英語が出来るだけで仕事が出来ると勘違いされていないだろうか。いつか自分の未熟さがバレるのではないか。内心はとても怖く感じていました。

 そんな思いを抱えながらも念願の日本生まれの薬剤を世界に出す節目に関わることができました。子どもの頃からの夢を達成してしまって目標を見失い、入社6年目で燃え尽きてしまったんです。そしてちょうどその頃結婚しました」