「ブラック職歴」の20代を経て派遣から総合職へ

 新卒で入った小さな出版社は入社後すぐ倒産。その後、輸入商社に転職するも3年で退社、友人が紹介してくれた仕事を手伝うために単身タイへ。「依頼者がどんな人か分からないのに引き受けてしまって。案の定、依頼者と一週間でけんか別れ」。「そのまま帰るなんて悔し過ぎる」と、タイ語学校に通いながら現地で就職活動をし、日系の小さな会社で働き始めたが、シュノーケリング中に大ケガをして帰国を決意する。「行き当たりばったりの職歴なので正社員の仕事を見つけるのは難しく、あえていろんなことを経験しよう」と短期間で仕事先が変わる「単発派遣」を選び、大手の金融機関や化粧品会社、人材会社などで経験を積んだ。

 前職の石油開発会社で派遣社員として働き始めたのは29歳の時。「出しゃばりな性格で立場関係なく全力投球で仕事をした」結果、派遣から契約社員、正社員の一般職、そして当時女性では前例がほとんどない総合職への転換を果たした。「収入がどんどん上がり、やりがいも大きくなった。とにかく仕事が面白かったですね」

 求められることにがむしゃらに取り組み、社内で着実にキャリアアップしていった梅沢さん。給料、評価、社会的なステータス、そのどれにも十分満足していた。「海外出張も2週間単位であり、とにかく忙しい毎日でしたが、仕事で大好きな海外に行けることにも満足していました。担当していた監査の仕事は、業務分析やフローチャート作りなど時間と場所を選ばずどこでもできる。通勤中も、社外でも、帰宅後も、頭の中はいつも仕事のことでいっぱいでした」

30代後半から会社員生活に違和感

 やりがいを感じる一方で、日本企業ならではの組織の風通しの悪さや正しいと思ったことが必ずしも認められないもどかしさを感じることも増えた。

 30代後半になると次第に、「気ぜわしい生活」への違和感が心の中でぐっと大きくなっていった。「忙しいときほどストレス発散したくなるのか、仕事帰りに六本木に遊びに行って、わーっと飲んでお金を使ったりして」。多忙な夫とも擦れ違う時間が大きくなっていった。