モラハラの夫の元から逃れ、娘を連れて東京に戻った松田圭子さん。シングルマザー支援団体で働くうちに、ふとした縁からAIベンチャーの創業に加わった。再びITの仕事に戻り、開発と経営に携わる。一方で、大学時代から親しんだジャズボーカルに40代後半から本格的に取り組んだ。歌はこの先も人生に欠かせない「サードプレイス」になっている。

(上)元AI技術者、駆け落ちと離婚経てベンチャー役員に
(下)AI技術者のサードプレイスは月数回のジャズボーカル ←今回はココ

松田圭子さんがジャズボーカリストとして活動を始めて約6年。ジャズ歴は30年以上になる
松田圭子さんがジャズボーカリストとして活動を始めて約6年。ジャズ歴は30年以上になる

 AIプログラマーのキャリアを中断して結婚。出産、離婚を経てシングルマザー支援団体Winkの事務局長を務めていた松田圭子さんは2004年当時、mixi(ミクシィ)でブログをつづっていた。本名は出さずにハンドルネームで書いていたが、プロフィル写真は顔が少しだけ見えるものを使っていた。

 ある日、そのブログにこんなコメントを入れてきた人がいた。

 「私の知っている人に似ていらっしゃるのですが、もしかして松田さんですか?

 それは20代の頃、AIプログラマーとして働いていた会社の元上司だった。ネット上での意外な再会に驚いた松田さん。沖縄への「駆け落ち婚」で突然、退社してしまったときのことをわびたりするうちに、「仕事は今どうしているの?」と聞かれた。

 「実は今度、知人が起業するので、立ち上げのときの事務局を担当してくれる人を探している」という元上司。シングルマザーの就労支援を行っていた松田さんは、事業内容や就業条件などを聞くために、メタデータの起業準備中だった野村直之社長に会った。ところが「話を聞いてみたら、あまりにも面白そうだったのです」。AIプログラマーのキャリアを持つ松田さんは、メタデータが目指そうとする事業領域や理念に強く引かれた。

 就労支援の登録者の中には条件の合う人がいなかったこともあり、「私じゃ駄目でしょうか」と立候補した松田さん。シングルマザー支援の仕事はしばらく継続しながらメタデータの創業に携わり、2005年12月に会社がスタートした。