「まだこの蔵は死んでいない」予想外の父の言葉

 例年3月中旬は、次の冬の仕込みに向け、農家に酒米の栽培を依頼する時期。ただこの頃、福島第1原発の危機的状況を伝えるメディアのボルテージは最高潮に達していた。

 「こんなときに酒米を買って日本酒を作っても、きっと福島の酒の買い控えが起きる。在庫を抱えて身動きが取れなくなり、破産する最悪の情景が頭に浮かびました。店の経営が思わしくないことは、長年、母から聞かされていたし、元々父からは商売への情熱がさほど感じられなかった。辞めたいのに踏ん切りがつかないのなら、私から引導を渡そうと、『もう潮時だよ。廃業しましょう』と父に進言しました

 ところが返ってきたのは「まだこの蔵は死んでいない」「こんなときこそ頑張らなければならない」という予想すらしない答えだった。

 「なぜもっと前に経営努力をせず、今になってそんなことを言うのか。地震のショックで、父はおかしくなったのか……とまで思いましたが、社長の父が続けるというなら、これ以上、口は出せません。私自身は末っ子がまだ小2と幼く、福島に駆け付け、両親を助けることもできない身。東京から事態を見守るしかありませんでした」

 転機は2014年の年末。実家に帰省していた斎藤さんは、トラックにタンクを載せ、蔵に水を運び込む男性たちを目にした。金水晶酒造店では「金水晶」の自社ブランドに加え、福島市周辺の4町のプライベートブランド(PB)の日本酒作りも請け負っている。彼らはその1つである、伊達郡(現伊達市)霊山町の人々だった。

瓶詰め作業こそ機械にまかせるが、日本酒の製造は昔と変わらぬ手法を用い、人の手で行う
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