テレビ報道の最前線で約20年働いた後、専業主婦を経て、福島市の老舗蔵元・金水晶酒造店を継承した斎藤美幸さん。両親からも祖母からも、一度として「継いでほしい」と言われたことのなかった赤字にあえぐ蔵を、東日本大震災後に受け継いだのは、日本酒王国・福島の人々の地酒に寄せる思いを知ったことがきっかけだった。

(上)TV局勤務→専業主婦10年を経て単身帰郷、酒蔵を継承 ←今回はココ
(下)母親卒業宣言!49歳で福島へ 酒蔵再建に人生を捧げる

 「こんなに小さな店を継いだら、ご飯が食べていけなくなると本気で思っていました」。福島市唯一の造り酒屋、金水晶酒造店の代表取締役社長・斎藤美幸(56歳)さんは屈託なく笑う。

 斎藤家は旅籠だった時代を経て、明治時代中期に造り酒屋に転じた、福島市で17代続く旧家。斎藤さんが一人娘として生まれた1960年代半ばから10年経たないうちに、日本酒製造はすでに斜陽化。同居する祖母には、物心ついた頃から「うちの店もいずれなくなる」と言われて育ち、両親からも一度も後を継げと言われたことはなかった。

 それでも高校時代、醸造学科のある大学に進む道も模索したが、やはり造り酒屋の未来に希望を持てず、教養学科に進学。教養学科を選んだのは「将来、どの道を選んでもいいよう専門を決めず、広く浅く学びたかった」ためだ。

 卒業後、飛び込んだのは「さみしく1人暮らしをしていた私にとって、最高の娯楽だった」テレビの世界。当時、最も競争率が高いとされたフジテレビへの就職を勝ち取り、営業職を1年担当した後、報道部門へ。「会社に連日泊まりこむのは当たり前。地下鉄サリン事件の速報原稿を打ったのも、あの日偶然、夜勤明けだった私です。テレビに流れる『24時間戦えますか』のCMコピーそのままに働き、やりがいに満ちていました

試飲イベントなど出張も多いが、蔵にいるときは極力、売り場に立って顧客の声に耳をすます。手前の黒い箱は、県春季鑑評会・吟醸酒の部(2021年度に製造した新酒が対象)で最高賞に当たる知事賞を受賞した大吟醸
試飲イベントなど出張も多いが、蔵にいるときは極力、売り場に立って顧客の声に耳をすます。手前の黒い箱は、県春季鑑評会・吟醸酒の部(2021年度に製造した新酒が対象)で最高賞に当たる知事賞を受賞した大吟醸

仕事と子育て両立のため、キー局から地方局に転職

 「大好き」だったフジテレビから地元の福島テレビに転職したのは、2人目の子の育児休業が明けた31歳。研究者を目指していた夫が地方の大学にポストを得た時期と重なる。「事務系部門に異動すれば、フジテレビに残れたのかもしれない。でも熾烈(しれつ)な保活競争を勝ち抜ける保証もなかったし、ワンオペ育児になるのも目に見えていました。そして何より私は報道現場に居続けたかった。福島テレビに移れば、実家の母に子育てを手伝ってもらいつつ、報道の仕事を続けられる。周囲には『せっかくキー局に入れたのに』と言われましたが、ほかの道は考えつかなかった。地方の大学にポストを得た、大学教員の夫とは以後、別々に暮らすことになりました」