数々のつらい出来事を乗り越え、NPO法人キープ・ママ・スマイリングを立ち上げた光原ゆきさん。亡き娘から与えられた使命を全うするべく、日々奮闘している。上編では、光原さんがNPO法人を立ち上げた経緯について話を聞いた。

(上)生後11カ月で娘が他界 引き受けた使命を胸にNPO設立 ←今回はココ
(下)コロナ禍で厳しさ増す病児ケア 退路を断ち支援にまい進

 「上の子がいなければ、ひつぎに入れて一緒に燃やしてほしいと懇願していたと思います」。NPO法人キープ・ママ・スマイリング代表 光原ゆきさん(47歳)は、2014年の春、先天性疾患を持つ次女を亡くした。生後わずか11カ月だった。

 光原さんが運営しているキープ・ママ・スマイリングの活動は、入院中の子どもに付き添う家族を笑顔にすること。病児の子どもを二人育てた光原さん自身の体験を原点とし、2014年11月に立ち上げた。

NPO法人キープ・ママ・スマイリング代表 光原ゆきさん
NPO法人キープ・ママ・スマイリング代表 光原ゆきさん

仕事大好き人間が病児の母に

 光原さんは、一橋大学卒業後の1996年にリクルート入社。「ウェブメディアのプロデューサーとしてキャリアがスタートしました。とはいえその頃はインターネット黎明(れいめい)期。先人もいない中、身の丈以上の仕事を振ってくるという、なんというか、すごい会社でした(笑)。すごく大変でしたがやりがいがありましたね」と、リクルートに勤めた約20年間を振り返る。

 30歳の頃には新規事業として医療メディアの立ち上げを命じられ、昼夜仕事に明け暮れた。編集長を兼任しながら医療サイトを運営し、充実した日々を送る中、第1子を妊娠。

 「仕事も順調でしたし、上司には『すぐに戻るから席を空けておいて』と頼んでいました。産後すぐに復帰する予定だったんです」

 でもそれはかなわなかった。2009年12月、24時間の陣痛を経て生まれた長女に異常が見つかった。その日のうちに新生児集中治療室(NICU)に搬送され、生後1週間目には8時間にも及ぶ大手術が行われた。手術は成功したが、そこから長い入院生活を余儀なくされることになる。大みそかも正月も、小児病棟で娘に付き添い過ごした。仕事に復帰するどころか突然、病児の母となり、ただただ必死だった