毎日終電、土日も出勤だった新米弁護士時代

 法律事務所に勤める弁護士の場合、アソシエイト(雇われ弁護士)として上司や先輩の下で準備書面の作成や尋問などの方法を学びつつ経験を積み、やがてパートナー(共同経営者)となって自らの顧客を相手に業務を行うようになるキャリアパスが一般的。

 藤田さんが新米弁護士だった2000年代初頭、不況を脱した日本は好景気へとひた走っており、クライアント企業からの事務所への依頼は引きも切らなかった。専門性を身に付け、パートナーへと昇格するために、若手のアソシエイトは毎日終電まで働き、土日も出勤して野心的に仕事に励むのが当たり前。藤田さんも実績を積もうと仕事に食らいついていった。

 そんな激務の中でも、司法修習生時代に大学時代の同級生(弁護士)と結婚し、入所2年目には長女を出産。

 「キャリアを積むほど忙しくなるのはわかっていたので、早めに身を固め、子どもも駆け出し時代に生んでおこうと思ったんです。仕事、家事、育児に忙殺されつつ、何とか若さで乗り切りました

 M&A、知的財産、ファイナンスなど一通りの企業法務を学んだ後、藤田さんが自らの専門として選んだのは、企業間のもめ事を扱う「紛争分野」。

 「困っている企業を、法律の理論を武器に助けられることにやりがいを感じました」

 入所4年目の2006年、事務所のキャリアアップ制度を使い、やはり勤め先の制度を使って留学する夫とともに長女を伴って渡米。当時3歳だった長女を託児所に預け、ニューヨーク州の弁護士資格取得を目指し、現地のロースクールの外国人向けコースを受講。子育てをしながら司法試験の勉強にまい進した。

 「夜、数時間おきに泣く乳飲み子を抱えながら、仕事の締め切りに常に追われていた日本での生活に比べれば、学びに集中できる米国暮らしは天国のよう。英語は法律の専門用語や言い回しを必死で丸暗記し、ロースクールの授業に臨みました。私にとっては、多種多様な話題が飛び交う娘の同級生やママ友たちとの会話についていく方がむしろ大変でした(笑)」