ヒロミ
45歳
鉄道会社の企画事業部で働く
東京出身
夫とボストンテリアのモエと3人暮らし

 前々から「楽しそうだなあ」と思っていた企画事業部に異動が叶い、フリーペーパーの編集アシスタントから始め、現在はスタンプラリーなどを代表するイベント企画のチーフとして立派な戦力になれたと自負している。社内の一部の人としか関わらないぬるま湯のような部署から、いきなり外部の人との折衝を行わなければならない部署への異動は、まさに井の中の蛙が大海に押し流された気持ちだった。

 しかし仕事が楽しくなったと同時に、不安にもなった。当時私は三十四歳で、短大の同級生たちは出産ラッシュに入っていた。しばらく自然妊娠を目指して頑張ったが、一切の兆しが見えず、三十七歳で不妊治療を始めた。でも、だめだった。

 ――どうして協力してくれないの。なんで真面目に考えてくれないの。

(C)PIXTA

 私の焦りに反比例して徐々に表情を失ってゆく夫を、捨てたはずの過去の自分が戻ってきたように泣き叫び詰った。周りはどんどん子供を産んでいく。私はひとり取り残される。実の親からの圧力も相当なものだった。西洋医学だけではなく東洋医学にも頼り、あげく私がスピリチュアル方面へすがり始めたころ、初めて夫は声を荒らげた。

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