私が二十代だったころ、男女はまだ今ほど平等ではなく、デートでは男が払うのが当たり前、クリスマスや誕生日は有名なレストランでのディナーと貴金属や革製品のプレゼントが当たり前だった。しかし夫は二度目に会ったとき、私を高円寺の定食屋に連れて行った。男性の高齢者がひとりで切り盛りしている、照明が蛍光灯で、壁とテーブルと調味料の容器がべたべたしている店で、しかも私の会計は1680円(ビール二杯と鯖みそ定食)だったのに割り勘だった。

 ありえない。安い女だって思われてるんだよ、そんな男やめときなよ。

 元彼に振られたとき怒ってくれた友人たちは口々にそう言った。十日前、初対面の女に目の前で泣かれてもまったく動じず、失恋から立ち直るためにお勧めの映画や音楽を勧めてきた彼を、私は好意的に思っていたからこそ1680円割り勘でも「また会いたい」と思えたので、友人たちの言葉にはどう返せば良いのか判らなかった。そして後日気づいた。彼女たちは怒りたいだけなのだ。他人の恋愛はただのエンターテイメントで、ドラマや映画の登場人物対して思い思いの感情を吐くのと同じこと、そこになんの責任も発生しないのだと。

 ――ヒロミさん、あなた東京生まれで実家から出たことのないひとりっこでしょう。で、お母さんは専業主婦だったでしょう。

 何度目かの、付き合ってるか付き合ってないか微妙な時期のデートで夫に言われた。私は何も疑問を抱かずに頷いた。ついでに言うなら祖父が取締役を務めていた会社の縁故入社で、私はたぶんこの先、何があってもクビにはならない立場だが、元彼と結婚したら当然仕事は辞めるつもりだったことも伝えた。

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