人の親にはなりたい。仕事もしたい。しかし当時はまだ女性が結婚出産したあとも働くためのインフラが今ほどは整っておらず、先輩女性社員たちは出産後ほとんど退社するか派遣雇用になった。逆に会社が手放すのを渋った女性たちは給料のほとんどを延長保育のシッター代に費やしながら遅くまで働きつづけていた。男女雇用機会均等法の布かれたあとも「家事育児は女性がやるもの」の概念の根深い日本ではまだ女性の負担なしには子育てと仕事の両立が叶わなかった。

(C)PIXTA
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 アメリカに留学していたころ、休日のショッピングセンターで、赤子を抱いてあやしながらカートを押す男性と、傍らで棚の品物を吟味する女性をよく見かけた。今ようやくそんな光景が日本で見られるようになったが、美結が生まれた当時はそんな男性は数えるほどしかいなかった。空港の電光掲示板にかつて暮らした土地の名前を見つけ、なんとなくしみじみとしていたら到着を知らせる電話が鳴った。

 成田空港の入国フロアで出迎えた代理店の中央アジア担当マネージャーは私と同い年くらいの男性だったが、驚くことに、サブマネは三十代前半くらいに見える女性だった。メールの名前では男女の区別が判らず、ずっと男性だと思っていた。握手と挨拶を交わしたあと、ふたりは緊張が解けたような人懐っこい笑顔を見せてくれたのでこちらの緊張もほぐれる。

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