みっつ離れた席に座っていた男がやたら時間をかけてコートを着てマフラーを巻いていて、早く出ていってくれないかな、と横目で伺っていたのだが、彼は重そうなリュックを背負った後、まさかの、私に声をかけてきた。

 ――もしかしてぎっくり腰とかですか? 動けます?

 勘違いにもほどがある。思わず笑ってしまった。

 ――大丈夫です、余韻に浸ってただけです、ご心配なく。

 ――ですよね。僕も今、余韻に浸ってます。でもここ、すぐに清掃が入っちゃうから、もし良ければ他のところでお茶でも飲みながら余韻に浸りませんか?

 ものすごい勘違いと思いきや、ものすごいストレートなナンパだった。いつもなら絶対に断っていた。でも私は同じ映画を観て、多分自分と同じような気持ちを抱いている人と、そのときは話がしたかった。どうしても。

文/宮木あや子 イラスト/PIXTA