シホ
40歳
広告会社・営業
福岡県出身
独身・一人暮らし

 下馬の2LDKのマンションに戻り、玄関でブーツを脱いで短い廊下を速足で進み、リビングのエアコンを入れた後ダウンジャケットをソファに放り投げる。キッチンへ直行し、冷蔵庫からビールを取り出し半分くらい一気に流し込んで一息ついたら、身体中のあらゆる部品が音を立てて緩んだ。スーツケースを玄関から持ってこなければいけない。うがいと手洗いをしなきゃいけない。足が冷たいからスリッパを履きたい。でも今はすべての欲求を凌駕してビールを欲する、身体中が。

 独身のまま四十歳を迎えた娘を、両親は巨大な腫れ物のように扱った。去年まではまだ「見合いをしてみてはどうか」と提案してきていたが、今年は「け」の字も出なかった。「そろそろ結婚しろ」から「早く見合いして結婚しろ」「孫を抱きたい」、そして「見合いをしてみてはどうだろう?」の腫れ物扱いを経て最終的に黙るまで十五年かかった。弟の配偶者が先月四人目を産んでくれた、しかもそれが待望の男の子だった、だから黙ってくれたのかもしれない。感謝する、弟の配偶者よ。

 椅子に座る間もなく350ml缶は空になり、もう一本飲もうか一瞬悩んだがやめておいた。郵便受けから取ってきた年賀状の束を手に取り、ソファに移動する。さっき脱いだダウンはまだぬくもっており、エアコンで部屋が暖まるまでの膝掛け代わりに腿の上に掛けた。清水の舞台から飛び降りる覚悟とともにプロパーで買った今季のモンクレール。しかも鮮やかな赤。我ながら笑ってしまうくらい派手で、通勤には不向きだ。でももう四十歳だし。正直、重くて硬いコートだと肩とかつらいし。そもそも服装に文句を言う上司もいない、というよりも偉くなると服装を注意などされない。だから清水から飛び降りてみた。購入にそれなりの覚悟(今後の体型維持など)がいる高価なダウンは布団かと思うほど暖かくて、結果的に良い買い物だったと思う。

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