―― 実際、会社に入ってからも「ダメ」の連続だったと著書にも書かれていましたね。でも尾原さんはちょっとやそっとじゃめげません。組織の慣習や給与格差に直面しても、いいと思ったアイデアを提案してもまるで取り合ってもらえなくても、そこで引っ込むのではなく、何度も交渉したり、別の形で再提案したり。そのたくましさに圧倒されました。

尾原 私がやっていたのは、基本的に「新しいものを作る」という仕事です。「こうしたらもっといいものになるのではないか」「こうしたら新しいものができるのではないか」と、いわゆる創意工夫について常時考えるようになっていました。そこで「これはダメ」と言われたときにも、「じゃあ、こういうふうにしたらどうですか」と言えたのです。「これはいいことなのだ、消費者や世の中のためになる」と思ったことは絶対に実現したかったからです。

嘱託契約に切り替える際、自ら給与を提示

 例えば私は、お給料を上げてくださいと交渉しに行ったことがありました。男性となぜ初めからこんなに差があるんですか、と。そうしたら、こういう事情があるから5年待ってほしいと言われました。そのときは承諾しましたが、結局5年たっても何も変わらなかった。それ以来、このままではダメだな、男性にはできないような専門性を身に付けなくてはと考えるようになりました。

 その後、フルブライト奨学生としてアメリカ・ニューヨーク州立のFIT(ファッション・インスティテュート・オブ・テクノロジー)に入学してファッション・ビジネスを学び、その間結婚したこともあって、戻ってきてからは嘱託契約で働くことになりました。その際も自ら、「お給料はこのくらいにしてください」と言いました。

―― 結婚しても仕事を続けること自体が大変だった時代に、希望する給与を自ら提示するというのは、かなり勇気のいることだったのではないでしょうか。