モデルやコラムニストとして活動しながら、センス溢れるファッションやインテリアや、2人の娘たちのことをつづるインスタグラム(@tokyodame)が人気のクリス-ウェブ 佳子さん。すてきなライフスタイルで羨望を集める彼女が、包み隠さずここだけで語るARIA世代の本音。今回のテーマは「SNSの功罪」について。彼女が再確認した言葉の重みとは?

不安なときこそ共感したい

 地震の揺れを感じて真っ先にするのはTwitterのアプリを立ち上げること。震度は? 震源地は? それともただの勘違い? という不安な気持ちでTwitterのタイムラインをスクロールしていきます。

 それは状況確認というよりも、リアルタイムで見知らぬ誰かの不安な気持ちや恐怖心に共感することで、自分を少しでも安心させようとする反射的行動に近いと言えます

5月29日の私のTwitter検索ワード
5月29日の私のTwitter検索ワード

私にはその覚悟がない

 Twitterのアカウントを持って数年たちますが、つぶやいたことは一度もありません。私にはInstagramという発信ツールがあるので……というのは建前で、巻き込まれたくないというのが本音です。

 面識のない者同士が容赦なしに議論を交わすことが日常なTwitterで、Instagramよりも政治色の強いTwitterで、自分の発した言葉に果たして正当性を感じてもらえるのか、自分の判断力に信を置けるのか。発信者としてそういった覚悟が持てないからです。

 SNSなどまだない1990年代末のニューヨークに住んでいた頃、アメリカ人の友人たちは口をそろえて言いました。「面倒なことに巻き込まれたくなかったら、政治と宗教の話はするな」と。それが脳裏に焼き付いているので、目に見えない匿名の大群を相手に、濁流をなすTwitterのタイムラインに足跡を残すことが怖いのです。忠告していた友人たちがアメリカ合衆国大統領選挙や人種差別問題に関してつぶやくさまを「時代だな」と思いながらも、いまだ私は閲覧のみのユーザーにとどまっているのです。