女性の社会進出だけにフォーカスすると決めた50年前の雑誌

 キャンディス・ブシュネルがコラム『SEX and the CITY』を『THE NEW YORK OBSERVER』に初めて掲載した1994年から遡ること約30年。話は1965年に移ります。1965年といえば、アメリカ全土で夫婦の避妊が合憲であると最高裁判所が認め、女性解放運動が盛んになった年。ロースクールで教職を得たルース・ギンズバーグがアメリカ社会における性差別や男女間の賃金格差に意義を唱え始めた頃です。そんな男女平等社会の実現に向けて世の中が動き始めた年、一人の女性が『COSMOPOLITAN』の編集長に就任しました。ヘレン・ガーリー・ブラウン、その人です。彼女は女性も男性同様にキャリアを築き、経済的自立を手に入れ、そして恋愛もセックスも楽しむべきであると、それまで家庭雑誌だった『COSMOPOLITAN』を女性の社会進出のみにフォーカスした雑誌へと大幅に路線変更します。そんな型破りのヘレン・ガーリー・ブラウンが1965年に初めて手掛けた『COSMOPOLITAN』10月号の表紙は、1886年の創刊以来、最大級のセンセーションを巻き起こすこととなりました。

貞淑を美徳と崇めるなんて時代遅れよ

 2つの強烈なヘッドライン ― <完璧な父親と赤ちゃんの性別選び>と<ロンドンへ行こう - 独身女性の遊び場所> ― 。「嫁にもらう」が当たり前だった時代に父親選びを推奨し、独身女性にロンドンでハメを外そうと誘いかける表紙。当時、もしもSNSがあったら確実に炎上するであろう言葉のセンス。しかし「貞淑を美徳と崇めるなんて時代遅れよ」とでも言わんばかりに、ブラウン編集長は攻めの姿勢をドラスティックにエスカレートさせていきます。