ARIA世代で新しい一歩を踏み出した起業家にお話を聞くこの連載。今回は離婚をきっかけに42歳で起業したタニカワ久美子さん。当初は管理栄養士として楽して痩せる減量指導の事業計画を立て起業しましたが、自らのストレス体験をもとに働く人のストレスケアを中心にした事業へと展開。2021年10月には東京大学大学院の研究生になりました。起業後もコツコツと学びを続けるタニカワさんに起業のきっかけや事業成長のための苦労について聞きました。

離婚をきっかけに42歳でハローワークへ

編集部(以下、略) タニカワさんは、企業や公共団体向けに、健康をテーマにした研修カリキュラムを提供する会社を経営していますが、起業したのはどういうきっかけですか?

タニカワ久美子さん(以下、タニカワ) 新卒で勤めた会社を辞めた後、10年以上専業主婦をしていたのですが、42歳のとき離婚。再就職しようとハローワークに行きました。管理栄養士の資格もあるので、選ばなければ何か仕事は見つかるだろうとタカをくくっていましたが、実際は思った以上に厳しくて。募集は年齢不問とありますが、なかなか面接にも進めない。仕事が見つからずに苦労していたとき、ハローワークの担当者から横浜市が主宰する起業塾に参加しないかと勧められたんです。

職場の健康管理プログラムを提供するけんこう総研代表取締役のタニカワ久美子さん
職場の健康管理プログラムを提供するけんこう総研代表取締役のタニカワ久美子さん

タニカワ その起業塾では、最終課題として横浜市が催すビジネスプランコンテストに応募することが含まれていました。ちょうどメタボ健診が義務化されたときだったので「楽して、楽しく、最大効果を上げる減量支援」という事業プランで応募したらファイナルに残ったんです。横浜市からの支援も受けられたので、最初は個人事業としてスタートしました。

―― 起業してからはどのように事業計画を展開させていったのですか?

タニカワ 管理栄養士を養成する専門学校で非常勤講師をしながら、カルチャー教室や企業の研修で講座を持つようになりました。私はクラシックバレエを長くやっていたので、バレエとストレッチを組み合わせた「バレエビクス」というメニューを考えて運動指導も行っていました。

 ただ、実際やってみると、当初考えていた栄養サポートのニーズはほとんどなくて、簡単な運動を指導してほしいという要望ばかり。栄養指導をしたいという自分の思いと、求められるものにズレがあり、ジレンマを感じるようになりました。

―― 当初の事業計画と実際のニーズにはズレがあったのですね。そこからどうやって課題を解決していきましたか?