新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。今回は、東日本大震災での衝撃をきっかけに48歳で会社を辞め、思ってもみなかった起業の道へ踏み出した黒田千佳さん。「英語が話せなかった」にも関わらずマサチューセッツ工科大学(MIT)のカンファレンスでは審査員賞を受賞。意外なキャリアを持つ黒田さんが起業するまでの強い思いと道のりを聞きました。

(上)英語を話せない私がMIT審査員賞→起業 人生は想定外 ←今回はココ
(下)学校への欠席連絡をIT化 「誰でも使える」を徹底した

 事業構想大学院大学在学中に、世界銀行主催の「世界防災・減災ハッカソン※」に参加した黒田さん。チームリーダーとして考案したプロダクトをもとに起業し、特許を取得した技術で、保護者から小中学校への欠席連絡を24時間受け付けるシステム「COCOO(コクー)」を開発しました。紙と電話が中心だった学校と家庭の連絡手段を変えるITツールとして注目されつつあります。

※エンジニアやデザイナーなどソフトウエアの開発者が集まってチームを結成し、短期集中的に開発作業を行うイベントのこと

編集部(以下、略) どういうことがきっかけでコンペティションに参加し、起業することになったのですか?

黒田千佳さん(以下、黒田) 起業するなんて、それまでの人生ではまったく考えたことがなかったし、子育てのフェーズに合わせて仕事を変えてきたので、1つの会社でキャリアを積んできたわけでもありません。孫が2人いるおばあちゃんです(笑)。

黒田千佳 137代表取締役 事業構想大学院大学特任教授
黒田千佳 137代表取締役 事業構想大学院大学特任教授
くろだ・ちか/1965年生まれ、警察官として勤務後、結婚・出産で退職。パソコン講師などいくつかの仕事を経て、県警に非常勤職員として復帰。2005年、日能研グループで日本エキスパートセキュリティの立ち上げにコアメンバーとして参画。12年、事業構想大学院大学に入学後、同社を退社。14年、MIT Climate CoLab Conferenceのグローバルファイナリストとして審査員賞を受賞。同年、137設立。日本政策投資銀行主催 第8回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション「DBJ女性企業大賞」「最優秀ソーシャル・デザイン賞」受賞。MIT Climate Colabメンバー

カサカサのスポンジが水を吸い込むように学んだ

黒田 学びのきっかけは東日本大震災でした。あまりの被害の大きさに衝撃を受け、居ても立ってもいられなくなり、翌日には当時、日能研で一緒に働いていた教育心理カウンセラーの先生と一緒に被災者の心の復興支援活動をしたり、現地に赴き教材を生徒たちに無償で配る相談をしたり。でも、被災地に向き合えば合うほど、課題を解決するような本質的なことを学んでこなかったと実感しました。

 翌年のお正月休みに久しぶりに連休を取り、ふと新聞を広げたら「未来をつくる事業構想1期生募集」という、事業構想大学院大学の募集広告を見つけたんです。「これだ!」と。ビビッと何かを感じ、慌てて書類を整えて応募したところから人生が変わりました。

―― 社会人向けの大学院に通い始めたのですね。

黒田 まるでカサカサのスポンジに水が吸い込まれるような感覚でした。1期生は全国から30人ほど。大企業の役員や新規事業リーダー、ベンチャー企業経営者など個性豊かなメンバーが集まって。教える側もアカデミック系は国内外のトップクラスの教授陣、ビジネス界からも最先端を走られている方が教授として名を連ねていました。

 未熟な私にとって、思考の揺さぶりは相当なものでした。あまりに面白くて、2年目には会社を退職して大学院にフルコミットしました。学生の2年間でありとあらゆるチャレンジをしようと決意したんです。

―― 黒田さんはそれまでどんな仕事をしてきたのですか?