新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。今回は、エグゼクティブ専門の英会話トレーニングを行うオフィスグレース代表取締役の荒井弥栄さん。日本航空(JAL)のキャビンアテンダント(CA)を10年以上勤めた後、学習塾で英語講師となり、41歳のときに事業を立ち上げました。起業の原動力となったのは、裕福だった実家の倒産という出来事。学習塾と併行して始めた事業を法人化するまでの道のりを聞きました。

(上)義父の倒産で実家を失った元CA 母を養い41歳で起業 ←今回はココ
(下)53歳でハーバード挑戦「何歳になっても勉強はできる」

英語塾講師をしながら個人事業を立ち上げ

―― 国際線CAとしてJALに勤務した後、英語講師へとキャリアを転じ、自分で事業を立ち上げたのはどういう経緯でしたか?

荒井弥栄さん(以下、荒井) 32歳で結婚を機にCAを一度辞めたのですが、離婚して仕事を再開しました。その後、英語を本格的に学びたくて英国と米国に1年半ほど語学留学しました。

 帰国して英語を生かせる仕事に就こうと思って就職したのがPFアカデミーという学習塾です。最初は地域の主婦に英会話を教えるクラスの担当でしたが、すぐに受験生も教えるようになり、1年後には売り上げで塾のトップになりました。新たに開設する用賀教室(東京・世田谷)の室長になり、施設づくりや生徒募集、経理までを1人で担当しました。その経験は起業のベースになりました。

 教える仕事は楽しかったのですが、受験のためではなくもっと社会で生かせるような英語を教えたいと思い、塾に勤務しながら、2008年に個人事業としてエグゼクティブ向けに英会話レッスンを始めました。

JALのCAを辞めて学習塾の英語講師となり、エグゼクティブに英語を教えるオフィスグレースを起業した荒井弥栄さん
JALのCAを辞めて学習塾の英語講師となり、エグゼクティブに英語を教えるオフィスグレースを起業した荒井弥栄さん

母の再婚相手が経営していた会社が倒産

荒井 08年はリーマン・ショックがあり、実家が倒産したことも起業する理由の1つになりました。母の再婚相手が経営していた会社が倒産し、祖母が残してくれた資産や家をすべて失ってしまったんです。結局、母は離婚し、私と2人で小さな家に移り住みました。今の人生のスタートはそこからでしたね。

 当時は私も塾の仕事で忙しく、何か変だなとは思っても会社が傾いていたことに気付かなかった。母も当時は体調を崩していて。もし私が経営のことを少しでも分かっていたら、何か手を打てたのではないか。それも、経営を学びたいと考える動機になりました。実家が倒産しなければ違う人生だったかもしれません。

―― つらい出来事が起業の原動力になったんですね。