自分も弱者だったから「人のため」ではなかった

渡辺 やっぱり自分も病気をして弱者の立場だったからですね。それに、長い目で見れば、少子化も解決する見込みがなく、外国人労働者の手に頼るしかない。そのとき気持ちよく働いてもらえる国でありたい。

 「日本人は優しいけど信用できない」と言われていたので、「この日本人の言うことだけは聞いてみようか」と思える存在になろうと思ったんです。ちょうど、社会起業家という言葉も使われ始めたころでした。親からは「何にでもクビを突っ込む乾物屋の猫」と言われますけどね。でも、「人のため」だと思ってやってるわけではないんです。全部自分のこと。自分がいつその立場になるか分からないですから。

―― 渡辺さんの事業には社会的課題の解決という側面もありますが、NPOではなく株式会社にしたのはなぜですか?

渡辺 利益を追求するわけではなくても、対価をもらうことで企業努力が生まれますから。それにNPOの場合、行政の風向きが変わって補助金が打ち切られると、事業が回らなくなることもあります。営利企業にしたほうが自由に活動できる利点があると思います。

―― 今は事業を多角化して、会社として成長していますが、転機になったことはありますか?