安定も、確かな収入もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。「シェアリング」という言葉がまだ知られていなかった2008年、空きスペースを活用して誰でも簡単にお店が開ける「軒先ビジネス」を開始した西浦明子さん。リーマン・ショックをきっかけに事業を軌道に乗せ、さまざまなシェアリングサービスを展開しています。そこにはどんな山や谷があったのでしょうか。
(上)38歳で出産と同時に起業 パソコンがあればそこが職場
(下)「三方良し」のシェアリングで街づくりをサポート ←今回はココ
資金調達を受けて目指す山の高さが変わった
―― リーマン・ショックをきっかけに法人化した後、サービス拡大の転機になるようなことはありましたか?
西浦 世の中にもっとこのサービスを知ってもらいたいと思ったのですが、広告を出すお金もなかったので、いろいろなビジネスプランコンテストに応募しました。審査員の方からは「面白い」と言ってもらえて、賞をいただくことが何回かあったんです。取材も受けるようになり、それを見た投資家の方からお声がけいただくようになりました。ベンチャーキャピタルなんて全く知識がなかったのですが、こういう資金調達の方法があるのかと。外部からの資金を使って事業って大きくすることができるんだと初めてそこで知りました。そこから「目指す山の高さ」が変わりましたね。
それまでは「こういうサービスがあったらいいな」という個人の思いをトライ&エラーで形にしてきたけれど、「こういうサービスを世の中に広めるべきだからお金を出すから事業を拡大させてください」と外部の方が期待してくださったのが、次のステップでしたね。
サービスの需要は私が思っていた以上にありました。リーマン・ショックのときもそうでしたが、今もコロナ禍で、逆にキッチンカーや催事を始める方が増えているんです。
―― すごく順調のようにも見えますが、これまでの道のりで壁にぶち当たるようなことはありましたか?
西浦 それは……山のようにあります。