「ソツなくこなすこと」を覚えマミトラに

―― いわゆるマミートラック(※)ではないけど、思い切り働けていない状態だったんですね。

近藤 会社として気を使ってくれていたのもあるでしょうが、リスクのある新規仕事は任されないし、自分も受けられない。本来はクライアントのために全力投球で仕事をするタイプなので、ソツなく働くことが嫌で。何かしらの打開策を求めていたんです。子供は日々成長していたけど、自分は成長している気がしなかった。会社自体は女性が働きやすい環境ではあったので、転職してもこれ以上の環境は望めないと思いました。今、思うとそのときの苦しさが、「新しい働き方」を提唱する今の事業につながったと思います。

―― そこから起業までにはどんなプロセスがあったのですか。

近藤 自分の働き方や今後のライフプランを見直すきっかけになりました。子育てで時間に制限がある中でも、自分の限界を試してみたくなったんです。2人目の出産後、起業家養成スクールに2年ぐらい通いました。そのときはまだ起業するとは決めていませんでしたが。最新のシリコンバレー事情や起業の基礎を学ぶ中で「こんな世界があるんだ」とワクワクして。子育てをしながら起業するのは大変だと言われますが、制限がある中でも「成長できる環境」を作りたくなったんです。

「時短でも思い切り仕事したい」。育児をしながらアタッカーズ・ビジネススクールに通いだした
「時短でも思い切り仕事したい」。育児をしながらアタッカーズ・ビジネススクールに通いだした

近藤 長く働いてきて、いろいろなことを知っているつもりでしたが、ビジネススクールという場でさまざまな業種、さまざまな立場の人と知り合い、今まで会社の中だけでどうにかしようと思っていたことに視野の狭さを感じました。社会に対して、自分も何かできるのではないかと思い始めたんです。

―― そこから一気に起業に傾いていったんですね。

近藤 たまたまビジネススクールで作った事業計画がピッチコンテストで入賞して。そういう勢いもあったかもしれませんね。42歳のときに会社を辞めて起業しましたが、最初の事業は今とは全然違うビジネスモデルでした。心療内科に通いにくい人のためにオンラインでカウンセリングを受けられるサービスです。Webの事業を立ち上げるのは慣れていたし、事業内容に共感も得られた。スクールでも評価されたので「いけるかな」と思ったのですが、そんなに甘くなかった。

※マミートラックとは、子育てしながら働くと発生する制約のために、育休から復帰した女性が単調な業務のポジションに移されたり、昇給や昇格が望めるキャリアから外れること