安定も、確かな収入もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。大学教授やインターネットベンチャーの経営者、エイベックスエンターテインメントで動画配信サービスの開設などを担い、61歳でピーステックラボを起業した村本理恵子さん。起業前に体験した大きな挫折とリーダーとして必要なことについて聞きました。

(上)61歳なら「あともう1つ新しいことができる」と起業
(下)上場達成で味わった挫折 40代の失敗から学んだこと ←今回はココ

編集部(以下、略) 村本さんは大学卒業後、時事通信社でマーケティングリサーチの仕事に従事した後、30代で大学の教職、40代でベンチャー企業の代表取締役に就任し、50代でモバイル動画配信事業の立ち上げに参画、と変化に富んだキャリアを重ねてこられましたが、それぞれの転換点にはどういうことがあったのですか?

村本 転機は常に人との出会いです。実は自分が転職しようと思って転職したことはない。勤めていたら、「どう?」と誘われたことがきっかけです。判断基準は、その事業に自分がワクワクできるか。面白そうだなと思ったら迷わず決断してきました。

―― キャリアチェンジの振り幅が大きいですよね。チャレンジングな転身だと思いますが。

村本 5年後10年後にこうしようといった目標やあるべき姿を、自分で思い描いて来なかったからだと思います。自分で考えていると、今置かれている環境の範囲でしか発想できない。でも、人生は何があるかは分からないから、知らない世界に足を踏み入れたほうが面白いですよね。常に世の中をよく見るようにしていて、これは面白そうだと思ったら転職していました。だからチャレンジした気はないんですよ。大学よりビジネスの世界のほうが面白いっていう単純な動機でした。

ピーステックラボ代表取締役の村本理恵子さん。2001年と21年に2回、異なる事業でウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞している
ピーステックラボ代表取締役の村本理恵子さん。2001年と21年に2回、異なる事業でウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞している

―― 村本さんにとって、ビジネスで大切なことは何だと思いますか。

村本 失敗を恐れないことですね。いろいろ想定していてもうまくいかないことはたくさんあります。その失敗が次につながることをしっかり理解すること。1回失敗したらダメだということは決してない。起業したら成功しなくてはいけないと思っていると窮屈ですよね。失敗しても必ず次に生きる。

―― ご自身も失敗体験はありますか?