安定も、確かな地位もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。日本長期信用銀行を経て30代で米国留学し、世界銀行で途上国の支援に携わってきた小木曽麻里さん。帰国後はファーストリテイリングでダイバーシティ推進担当部長などを務めた後、2021年、自らの手でSDGインパクトジャパンを設立。そのキャリアの始まりとファンド設立への思いを聞きました。

(上)「投資でジェンダー平等を進めたい」ファンド設立を決意
(下)世界銀行で働き 初めて自分のバイアスから自由になれた ←今回はココ

「女性が1人で海外出張に行くのは危ない」

編集部(以下、略) キャリアの始まりは日本長期信用銀行でしたね。新卒で銀行を選んだのはなぜですか?

小木曽麻里さん(以下、小木曽) 男女雇用機会均等法ができて間もない頃でした。当時はまだ何をやりたいかはっきりせず、バブルの波に押されるように長銀に入りました。でも銀行には女性総合職のロールモデルがいない。転勤が前提でしたから、子育てしながら転勤し続けることは、長期的には難しいと感じました。

 転勤の少ない国際畑で仕事をするには海外留学などの経験が必要です。当時、男性は毎年10人以上留学していましたが、女性には奨学金を出してもらえませんでした。それで銀行を辞め、以前からやりたかった環境と金融を学ぶために自費で米国に留学したのです。ずっと環境問題には関心がありましたが、当時は銀行が環境問題などを扱う時代ではありませんでした。

 上司の中には「女性が1人で海外に行くのは危ない」と真剣に心配する人もいて、出張も行かせてもらえません。そんな職場環境で育ったので、今思うと私も感化されていた。海外出張に行けないのも当たり前だと思って、闘おうという意欲はなかったんですよね。

初日に航空券を渡され1人カザフスタンへ

小木曽 ところが留学後に勤めた世界銀行では、初日に航空券を渡され、「カザフスタンで合流して」と言われて。現地に着くと、「チームは昨日、カスピ海に向かったからそっちに移動して」と一言(笑)。この差は何だろうといきなり違いを感じました。

 男女差別も人種差別も少ない職場で働いてみて、初めて自分のステレオタイプに気付きました。日本では当然のように男女差があり、それを受け入れている自分がいた。米国で働く間に、自分のジェンダーに対する思い込みがどんどん取れていきました。その体験がなければ自由にはなれなかった。多様な人たちと一緒に働くうちに「こうしなくては」という枠が外れて、とても働きやすくなっていきました。

2021年、SDGインパクトジャパンを立ち上げた小木曽麻里さん。「海外で仕事をするまで、ダイバーシティの必要性を肌感覚として気づいてなかった」
2021年、SDGインパクトジャパンを立ち上げた小木曽麻里さん。「海外で仕事をするまで、ダイバーシティの必要性を肌感覚として気づいてなかった」