安定も、確かな収入もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。大手IT企業でシステムの開発やダイバーシティ推進に関わってきた小嶋美代子さん。50歳を目前に残りの人生を考え、これからは「自分の軸で決めたい」と28年勤めた会社を退社。2017年10月にアワシャーレを創業し、企業のダイバーシティ経営や女性活躍を推進する研修、コンサルティング事業、大人の学びを支援する事業を展開しています。長く勤めた会社を辞めて起業するまで、どんな道のりと思いがあったのかを聞きました。
(上)48歳 「残りの人生」を考え大手IT企業を辞めて起業 ←今回はココ
(下)起業して改めて自分の価値や可能性に気づくことができた
誇りだった会社がいつの間にか自分の制約に
―― 小嶋さんは大手企業でIT系のエンジニアとして働き、退社されたときはダイバーシテイ推進センタ長を務めていましたよね。管理職として充実した仕事をされていた中で会社を辞めようと思ったのは起業を考えたからですか?
小嶋美代子さん(以下、敬称略) 起業しようと思って会社を辞めたというより、一度会社という軸を手放そうと思ったんです。
当時は京都に住む母が入院したため、遠距離介護をしていました。充実した制度はありましたが就業時間や働く場所は決まっています。自分でこうしようと決めたというより制度があるから使っていた。こうしたささいな行動でも自分の軸で決めるのではなく、いつの間にか会社の価値基準に照らして行動するようになっていたんですよね。辞める前、「自分が手放したいものは何か」と考えたとき、このまま会社にいる自分だった。
会社で働くことに誇りがあったし、大好きな会社だったのに、今はそれが制約になっているのかなと。会社にいることが自分の行動範囲や意思決定を制限していることに気が付きました。
―― 仕事で悩みを抱えていたり、モヤモヤしたりということではなかったんですね。
小嶋 やりがいがなくて辞めたいと思うことはありませんでした。でも、企業に勤めていると必ず定年がありますよね。45歳くらいのとき、残りの年数でどんな仕事ができるかと考えたら、そこには「定年」というリミットがあった。それまでは周りに定年を迎えた女性があまりいなかったので実感がなかったのですが、だんだん近しい女性が定年を迎えるようになり、「私も定年まで勤めるのかな」と考えるようになった。定年は会社が決めるゴールですよね。自分がいつまで働くかを自分で決められないってこと。それでいいのかと疑問に思うようになりました。