安定も、確かな居場所もあるのに新しい一歩を踏み出したARIA世代の起業家にお話を聞くこの連載。今回は、夫の海外転勤と3人の子育てに追われ、働きたいという思いを抱えながら専業主婦を続けてきた塚田志乃さんの起業ストーリー。15年間の専業主婦期間を経て43歳で会社を設立した背景や起業までの道のりを聞きました。

 サントリー宣伝部で活躍していた塚田志乃さんは結婚後、夫の海外赴任に帯同するために28歳で退社。双子を含め3児を出産し、専業主婦となって8度の引っ越しを繰り返してきました。2019年に米国から帰国した後、起業を決意。一人経営者や起業家、個人事業主の目標実現に寄り添う会社VANSOを立ち上げました。

3度の海外転勤に振り回され、気づけば専業主婦に

編集部(以下、略) 専業主婦から会社員になるという働き方ではなく、いきなり起業を目指したのはどうしてですか?

塚田志乃さん(以下、塚田) これまで夫の海外転勤に伴って何度も米国と日本を行ったり来たりしてきました。3度目の海外転勤のときは、「今後10年間は駐在することになる」と言われてついていったのですが、1年半で急に辞令が出て帰国。子どもたちも引っ越しと転校を繰り返してつらい思いをしていたので、何もできない無力な自分にものすごく怒りが湧いて。

 理不尽な人事異動に振り回される生き方に嫌気がさし、自分の人生は自分でハンドリングしたいと思ったのがきっかけです。これからは会社に勤めるのではなく、自分の意志で住む場所や働く場所を選べる状況をつくろうと思ったんですよね。

塚田志乃
塚田志乃
つかだ・しの/VANSO代表取締役、広報・PRプロデューサー。1998年サントリー入社、大阪宣伝部、広報部などに勤務。2004年に退社後、家族の米国転勤に帯同。15年間の専業主婦期間を経て19年にVANSOを起業。20年からWorld Matcha日本PRマネージャー

塚田 20代のときは会社員として夜遅くまで残業するような生活でした。最初に夫の海外留学が決まったときは、2年間と決まっていたので、すぐにまた戻って働けると思って会社をぽんと辞めてしまったんです。その後、3人の子どもを出産し、アメリカと日本を往復しながら、資格を取ったり、派遣で働いたりしたのですが、転勤が決まると中断。どれも途中で辞めなくてはならなかった。「こうやって仕事から遠ざかっていくのか」という思いを15年間持ち続けていました。

 当時の日記を見ると、「家庭も子どもも大切にしたい、でも今の状態で自分は本当にいいのか」というようなことが何度も書いてあって、自分は成長していないと思いました。だから3度目の海外赴任から帰国したときは、今までとは違う選択肢を選ぼう。だったら起業しかないと考えたんです。

―― どんな事業で起業するか、構想はあったのですか?