ワーク・ライフ・バランスが求められる中で、仕事そのものを面白がって「遊ぶように働く」人たちが現れています。スープストックトーキョーで、数多くのメニュー開発に携わってきた桑折敦子さんもその一人。2017年には13年間勤めたスマイルズを退職して、独立。これまでの仕事を業務委託として受けつつ、食べ歩き旅行をプロデュースするなど、「スープ以外」へも仕事の幅を広げています。

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桑折敦子 スープストックの味は大好きな旅から生まれた


体力も行動力もある40代で挑戦したくて独立

―― 桑折さんは現在もスープストックトーキョーの商品開発を続けていらっしゃいますが、2017年に会社を退職して、フリーの立場でお仕事をされているのですね。なぜ独立したのですか?

桑折敦子さん(以下、敬称略) 13年間も勤めている間に、気が付けば会社でも年齢が上の方になっていました。社長の遠山正道と、これからは80歳までのライフシフトを考えながら働かないといけないねという話をしていて、このまま定年まで会社で働き、60歳になってから自分で何か始めるのでは遅いんじゃないかなと思ったのです。

 スープストックトーキョーでやれることもまだまだあると思っていますが、「おいしいものを多くの人と共有したい」という思いをさらに実現するには、他のアプローチもあるのではないか。それに挑戦するのは、体力も行動力もある40代の今だ、と考えて独立に至りました。スープストックトーキョーのレシピ開発は、業務委託という形で引き続きさせてもらっています。

スープストックトーキョーを展開するスマイルズで、数多くのメニュー開発に携わってきた桑折敦子さん。2017年に13年間勤めた同社を退職して、独立した
スープストックトーキョーを展開するスマイルズで、数多くのメニュー開発に携わってきた桑折敦子さん。2017年に13年間勤めた同社を退職して、独立した

桑折 実は、1つの会社に長くとどまることへの執着が、そもそも私にはないんですね。短大で栄養学を学んだ後に社会人生活をスタートしたのは、地元・福島の食品会社。手作り総菜などを給食センターに卸す業務で、企画から営業、納品まで一通りの実務に数年間携わりました。その間に「おいしいものを作りたい」という思いが強まり、会社を辞めてイタリアンや中華、和食などの飲食店でアルバイトをしながら各国の料理を勉強しました。26歳の時には飲食店の立ち上げにも関わりましたね。

 やがて食の最先端である東京でチャレンジしたい、という思いが湧いてきて、仕事も決まっていないのに上京。大手外食チェーンに女性初の正社員として就職しました。しかし、当時の職場は男性社会で長時間の重労働が当たり前だったためヘトヘトになりました。

 そんなときに、アレルギーを扱うクリニックを開業するという知人に誘われて医療機関に転職しました。クリニックでは食物アレルギーについて学んだり、大学病院での研修に参加したりできて、知識を得ることができました。後にこの知識はとても役立ちましたね。

 その後、スープストックトーキョーが立ち上がり、そのコンセプトを知って「ぜひ働きたい!」と転職したのがスマイルズ(現在は、スープストックトーキョーとして分社)です。私はこんなふうに、一貫して食に関わってきてはいますがいろいろな仕事をしてきたので、1カ所に落ち着きたいという意識が薄いのです。

―― 桑折さんが会社ではできなかったこと、独立してでもやりたかったことは何ですか?