「まさか自分が、フランスで指圧師になるなんて」

 私は40代のときに指圧と出合い、フランスで指圧および東洋医学を学び、指圧師となった。

 ジャーナリストとかエッセイストとか、横文字の肩書で長年仕事をしてきた私が、たまたま受けた指圧施療の効果にびっくりして、東洋医学の扉をおそるおそる押すことになり、いつしかその魅力に取り込まれていった。まさか自分が指圧師になるなんて思ってもみなかったこと。人生、何が起こるか分かったものではない。

 魅せられたのは、手というシンプルな「道具」ひとつで患者さんの体の声を聴き、さまざまな心身の「痛み」や「ゆがみ」を取ることができるというその実用性と、東洋医学の論理性、その奥に透視できるいのちの神秘の果てしない深さであった。

 どちらかというと頭でっかちの人が多いデカルトの国フランスでも、特に女性たちは、東洋医学と西洋医学の補完性に気づき始めている。はり治療や指圧、オステオパシーをはじめとする代替医療やヨガなどをうまく生活に取り入れて、薬に頼った西洋医学一辺倒から抜け出しつつある。

 そんなフランスで長いこと生活し、家庭を持ち、子育てしてきた私が、自分の国の文化の一部である指圧で、自分を育んでくれた国にちょっとしたお返しができるなら、こんなうれしいことはない。なにより、患者さんの背に置いた手を通して、その人のいわば「いのちの振動」――東洋医学では「気」と呼ぶ――に直結できる。「体を使う仕事だから疲れませんか?」とよく聞かれるのだが、実は相手の「気」のめぐりがよくなれば、私自身の「気」のめぐりもよくなるトクな仕事。東洋医学でいう天の気、地の気が個体を超えて人と人を結び、施療することで私自身も健康の恩恵を受けている。

 しかも、気持ちをまっさらにして相手の体の声に耳傾けようというとき、外交辞令など無用である。普段の生活の中ではまれな、真に本質的な会話を交わす場が施療室に立ち現れることも、この仕事の醍醐味だと思う。

施療室では、普段の生活の中ではまれな、本質的な会話を交わす場が立ち現れる(画像:ドキュメンタリー『La Voie du Shiatsu』、監督B. Seguin & M. Pierrardより)
施療室では、普段の生活の中ではまれな、本質的な会話を交わす場が立ち現れる(画像:ドキュメンタリー『La Voie du Shiatsu』、監督B. Seguin & M. Pierrardより)

「産む性」であることに悩み、更年期に慌て、老いに向かい合う…

 フランスであろうと日本であろうと、女性たちが抱える問題はどこにいても同じである。女性たちは、性にめざめるとほぼ同時に産む性であることに悩み、伴侶を持ち、または持たず、子どもを産み、または産まず、50歳を過ぎれば更年期という、思春期とは逆方向の心身の変化に慌てふためき、思春期の子どもに反抗されたり老いた親の介護に心身をすり減らしたりしながら自分の老いとも向かい合うことになる。そのようないのちの流れの方向を、誰も変えることはできない。

 だが、嘆くには当たらない。季節それぞれに美しさがあるように、老いてゆく過程にも味わいとそれなりの美しさがあることに気づけば、人生は若いときよりもっと豊かなものになるかもしれないのだから。私が下り坂に入る40代に指圧および東洋医学に出合ったというのも、それなりに意味があることだったのだと、振り返って、いまなら分かる。

 施療の後、マチルドのほおは血色を取り戻し、手帳とさんざんにらめっこしてから、1カ月先に予約を取って帰っていった。「どんなに忙しくても、もう少し自分のこともかまわなくちゃね」と苦笑いしながら。