現在、銀座松屋の本店長を務めているのは、松屋一筋でキャリアを重ねた生え抜きの川合晶子さん。バリキャリの20代を経て、30代は子育て中心の生活、さらに40代で最大の挫折を味わい、50代で一気にキャリアアップと、激動の仕事人生を送ってきたという川合さんにキャリアや仕事に対する思い、働く女性たちへのメッセージを伺った。

<b>川合 晶子(かわい・あきこ)さん</b><br><b>松屋取締役上席執行役員 本店長</b><br>上智大学法学部卒業後、松屋に入社。銀座店営業部に配属され、紳士服、雑貨を経て、30歳で婦人服デザイナーズブランドの仕入担当兼任マネージャーに。30代半ばからは、出産と育児のための休職と短時間勤務を取得しながら、営業部門にて勤務。2001年にマネージャーに復帰後、営業課長、営業企画課長、部長に昇格。2014年には執行役員副店長となり、銀座店の店舗運営を統括。翌年には取締役を兼任し、2018年本店長、現在に至る
川合 晶子(かわい・あきこ)さん
松屋取締役上席執行役員 本店長
上智大学法学部卒業後、松屋に入社。銀座店営業部に配属され、紳士服、雑貨を経て、30歳で婦人服デザイナーズブランドの仕入担当兼任マネージャーに。30代半ばからは、出産と育児のための休職と短時間勤務を取得しながら、営業部門にて勤務。2001年にマネージャーに復帰後、営業課長、営業企画課長、部長に昇格。2014年には執行役員副店長となり、銀座店の店舗運営を統括。翌年には取締役を兼任し、2018年本店長、現在に至る

10年スパンで訪れたキャリアの4ターム

──川合さんは新卒入社後、今に至るまで、松屋一筋でキャリアを築かれていらっしゃいますが、入社の動機や、仕事に対する思いはどんなものだったのでしょうか。

川合 私が社会に出たのは1983年、男女雇用機会均等法が施行される2年くらい前でした。就職するにあたり、一生働ける仕事がしたいと思っていました。またその年は、松屋が初めて四大卒の女性を採用するタイミングで、女性に対する期待を採用段階から感じたこともあって、ここで働きたいと志望し、ご縁があって入社しました。

──初めはどんな仕事に就かれていたのですか。

川合 弊社では、初めはみんな売場に配属になるのですが、私はもともと買い物が好きだったので、仕事で買い物がしたいと、バイヤーを目指していました。23歳で入社してから約10年間は、バリバリ仕事をしていました。当時はバブル景気で百貨店は上り調子、まさに「24時間働けますか」という時代。一方で遊びも全力でした。私は、20代のこの期間を“バリキャリ時代”と呼んでいます。

──そんな時代を経て、川合さんは33歳で第一子をご出産されました。

川合 2年くらいバイヤーの仕事をした後、33歳で第一子、37歳で第二子を出産しました。40代初めまでの約8年間、休職と短縮勤務を繰り返していた頃を、“ノンキャリ時代”と呼んでいます。当時は、育児休職や短縮勤務は福利厚生の一環としか考えられておらず、そのステージにいる女性のキャリア開発なんて誰一人として考えていない時代だったのです。言い方は悪いですが、私のそれまでの経験と比較して、「こんな簡単な仕事でいいのかしら?」と思うようなことしか回ってこなかった。仕事上でストレッチされる機会は全くなかったんです。

──そういう状況に悶々としたりはしなかったのでしょうか。

川合 もちろんしました。一生仕事をするつもりで入った会社でしたから。この先子どもが育ったら、私はこの会社でどうなるんだろう、先のことなんて誰も何も提示してくれないし、ロールモデルがいるわけでもないので、まったく見えませんでした。ただ、子育ては楽しかった。それで、仕事は辞めないけれど、仕事以外で何か生きがいがあったほうがいいなと思って、娘たちが所属していたガールスカウトのリーダーなどをやっていました。

──でもその後、フルタイム勤務に戻ってすぐにマネージャーになられたそうですね。

川合 上の子が小学校、下の子が幼稚園に通い出したくらいのタイミングでフルタイムに復帰、比較的すぐにマネージャーを任されました。それが嬉しくて、仕事に対するモチベーションがすごく上がりました。でも、フルタイムで責任のある仕事をしながら、手のかかる子どもたちを育てるというのは想像以上に大変で、家族の協力があっても仕事とプライベートのバランスを取るのが難しくなってしまったため、一旦、役を外してもらいました。40代は、そうした紆余曲折を経た“ママキャリ時代”でした。

──50代になられてからは、部長、執行役員、取締役、本店長と、着実にキャリアアップされています。

川合 40代の後半頃に、世の中に女性活躍の風が吹き始めたのです。2006年くらいから、ダイバーシティ推進室などが“雨後のたけのこ”のように生まれてきた。私自身はママキャリのまま、バランスのとれないアンコントロールな状態でしたけれど、その時に課長になりました。51歳になって部長になるのですが、その時には娘たちも成長していたので、家事や育児に割く時間が減り、仕事に専念できるようになってきた。その頃に今度はアベノミクスの風が吹いたんです。多くの上場企業が生え抜きの女性社員を役員に抜擢し始めたタイミングで、私も執行役員に。そして翌年には取締役になり、2018年に本店長になりました。この時代を“アベキャリ時代”と呼んでいます。