2018年6月にロート製薬の初の女性取締役に就任した力石正子氏。入社以来、開発部、学術部と、商品を生み出し世に広める仕事に専念しながら、着実にキャリアを築いてきた。その過程で得たリーダーシップの形とは? また、役員として必要なマインドセットや女性管理職を増やすための考えについても伺った。

泣いて嫌がった最初の異動がキャリアの転機に

――力石さんは、薬学部出身ですね。

力石 はい。男女雇用機会均等法施行前の1982年の入社です。当時は製薬会社の多くが募集条件に「女性は自宅生に限る」というのがありました。でもこの会社にはその条件がなくて、富山出身の私も受けることができたのです。それに当時の研究所長が大阪大学薬学部の1期生。私たちのOBというご縁もありました。

――入社したときは、今のような立場になることや、昇進昇格を考えていましたか?

力石 いえ、まったく! だって「寿退社」が夢でしたので。みんなから「おめでとう」と言って花束をもらいたかったんです。女性の平均勤続年数は1.7年の頃です。入社後3年が半減期、5年いたら「お局様」と言われた時代ですよ(笑)。

――そんな中で、なぜ働き続けていこうと思われたのですか?

力石 私は27歳で社内結婚しましたが、それまでの5年間で仕事が面白くなったことと、出身地の富山は、女性は結婚後も普通に働く文化ですし、手に職を持って働いていた母の姿を見て育ったという環境もあったと思いますね。

力石正子(りきいし・まさこ)
ロート製薬株式会社 取締役 プロダクトマーケティング部長

1982年大阪大学薬学部卒業。同年入社。「リセ」や「新Ⅴロート」など目薬の開発に従事。その後学術部にて、妊娠検査薬の啓蒙、排卵日検査薬の開発、スキンケアブランド「オバジ」の導入に力を注ぐ。2010年研究開発本部製品開発部長。15年マーケティング本部商品企画部長。17年プロダクトマーケティング部長(現任)。18年6月に取締役就任。

――キャリアの転機はいつでしたか?

力石 まず、入社して10年後に開発部から学術部に異動になり「排卵日検査薬」に関わったときですね。当時、妊娠検査薬の勉強会を全国各地で行っていたとき、北海道の女性から「2人目の子どもができない」という悩みを聞いたんです。「1人目が女の子なので、周囲から“次はいつなの?”と言われるのがつらい」という涙の電話でした。

 そこで、産婦人科の先生に話を聞くと「タイミング指導で4~6割は妊娠できるよ」と教えてくださいました。それで「排卵日検査薬」を作るプロジェクトを社内3人の女性で立ち上げたんです。

――力石さんの発案ですか?

力石 はい。当時、薬剤師のほとんどが男性という状況で、私は勉強会で「妊娠検査薬がいかに必要か」を説明していました。でも男性は「どうせ陽性と分かったら(妊娠していたら)病院へ行くのだから、初めから病院に行けばいいじゃないか」と言うんです。「ちゃうねん!」って(笑)。「産婦人科って、妊娠と分かったら行きたいけど、分からないときは一番行きたくないところだという、女性の気持ちをなんで分からないの!」と思いました。そんなもどかしい実感から、絶対に排卵日検査薬を世に出したいと思いました。当時の上司は男性でしたが、「やったらええやん」と応援してくれたので、思う存分注力することができ、私のキャリアに自信がつきました。

――開発部から学術部の異動は力石さんの希望だったのでしょうか。

力石 実は学術部への異動は、当初は不本意で泣いたのです。開発部の居心地がよかったこともあり「開発から追い出された…」という意識しかなくて。当時は妊娠していたこともあり、開発部は実験で有機溶媒を使うので妊婦の身体に影響があってはいけないという会社の配慮もあったと思うのですが、私としてはつらいことでした。同僚や先輩が慰めてくれたことを今でも思い出します。

――泣くほど嫌がった学術部が、結局はキャリアの大きな転機になったのですね。

力石 そうですね。学術部に18年間にいました。40代になると、仕事にも脂がのってくるころで、自分の裁量も増えてさらに充実感がありました。

 そんなとき、いきなり「もう1回開発に行ってみない?」と言われ、製品開発部長になったんです。それが2度目の転機、52歳のときでした。

――再び開発部に戻って部長に。どんな気持ちでしたか?

力石 当初は「え、今さら?」という気持ちもありまして。でも「言われたときがチャンスかな」と思って、その場で「受けさせてもらいます」と返事をしました。開発部を任せてもらえるという大きなチャンスを与えていただいたことに感謝しています。

 40人ほどのメンバーのいる開発部は、漢方を作る人、パンシロンを作る人、オバジを作る人、肌ラボを作る人…と技術者の固まりです。商品をゼロから作る、というところにもう一度立ち戻り、楽しみもあるけど、同じくらい苦しみもあるなあと、感慨深いものがありました。