国内損保市場でトップクラスのシェアを占める、損害保険ジャパン日本興亜で初の女性執行役員となった陶山さなえ氏は、2017年4月、SOMPOホールディングスのグループ会社で初の女性社長に就任した。一般職で入社し、38歳で総合職に転換。女性初の部長に就任した後、執行役員を経てグループ会社社長へ、常に「女性初」のフロントランナーとして道を切り開いてきた。役員を目指す女性に必要な経験や、周囲のサポートについても聞いた。

38歳で総合職に。大きな仕事を任せてもらえた経験が背中を押した

――陶山さんは損害保険ジャパン日本興亜で初の女性執行役員となり、昨年にはグループ会社で初の女性社長に就任しました。

陶山 当社、SOMPO企業保険金サポートは社員57人中、本社社員の8割が女性ですので、女性活躍をもっと推進するために私が任命を受けたのではないかと感じています。

陶山さなえ(すやま・さなえ)
SOMPO企業保険金サポート代表取締役社長

白百合女子大学文学部卒業。1979年安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン日本興亜)に一般職として入社。95年に総合職に転換。保険金サービス部門を中心に実績を積み、新組織や保険金支払部門新組織立ち上げの責任者に抜擢される。2008年同社初の女性部長(医療保険室長)、2013年同社初の女性執行役員を経て、2017年4月現職。SOMPOホールディングスのグループ会社で初の女性社長となる。

――執行役員から社長になり、気持ちの変化はありましたか?

陶山 執行役員のときは経営陣の一人という立場でしたが、今は50数人の規模とはいえ、会社全体の方向性を決める最後の責任者ですので、責任の重さや、決定するまでの緊張感は以前より大きいですね。ただ就任から1年半がたち、自分が決めたことがどんどん形になっていく面白さも、これまで以上に感じています。

――これまでで一番大きなキャリアの転機は、いつでしたか?

陶山 38歳の時に、一般職から総合職に転換したことです。

 私は1979年に損害保険ジャパン日本興亜(旧・安田火災海上保険)に一般職として入社し、保険金支払いを担当する部署に配属されました。「女性は男性をサポートする役割が当たり前」という時代です。入社当初は仕事に特別な思い入れはなく、今の自分を全く想像できないOLでした。

 仕事への意識が変わったのは、教育担当だった先輩男性社員のアドバイスがきっかけでした。「事務だけではなく、保険約款の読み方を知っておいたほうが仕事の面白さが分かるよ」と言って、先輩が約款の読み方を毎日解説してくれたのです。保険の根幹にかかわる約款が読めるようになったことで、自分の仕事の意味や、何につながっているのかが理解できるようになり、仕事が面白くなりました。

 23歳で結婚し、ずっと仕事を続けたいと思い始めた26歳のときに妊娠が分かりました。当時は結婚や妊娠をしたら退社するのが常識でしたので、思い悩み、仕事を続けたい気持ちを先輩に打ち明けたところ、「産休を取って仕事を続けたらいいじゃないか」と背中を押してくれたのです。同じ職場で産休を取った人はいないと聞いていたので、ずいぶん悩みましたが、産休を申請し、育児休暇も時短制度もまだない中で仕事と育児の両立を続けました。

――38歳で総合職への転換を決めたきっかけは?

陶山 子どもが小学5年生になって自分のことができる年齢になり、仕事に向ける時間が持てるようになったことが一番大きなきっかけです。もう一つは時代の変化です。ちょうど男女雇用機会均等法ができたり、企業が女性が活躍できる環境を整え始めるなど、世の中の意識も変わり始めていました。私が決定権を持つ役割を担うことで、会社の女性活躍が少しでも進めば…という思いもありました。

 当時の上司や同僚たちから「総合職になったら?」という応援、サポートがあったことも大きな後押しなりました。今の自分自身があるのも、そういう方々の支援や期待によって、一歩踏み出せたからだと思っています。

 ちょうど総合職を意識し始めた1995年、阪神・淡路大震災が起きました。当時、私は保険金の支払いを統括する部門にいましたが、上司が、現地対策本部への応援者確保や支援物資調達という重要で緊急な仕事を、「すべて陶山の責任でやりなさい」と言って私に任せてくれたのです。その経験が自信となり、総合職になってもっと活動の幅を広げたい、「やってみよう!」という強い思いがわきました。

――重要な仕事を信じて任せてもらえる経験というのは、女性にとって大きいですね。

陶山 そのとおりです。2008年に社内で女性初の部長になったときも、仕事を任せてもらえたことがキャリアの転機になりました。その2年前、課長だった私は、それまで全国に分散していた医療保険支払い部署を一つの組織にまとめ、さらなる専門性向上とスピーディな支払体制構築の責任者に抜擢されたのです。集中化にあわせて当初8人でスタートした組織を2年半で約200人体制の部署をつくりあげ、初の女性部長(医療保険室長)に昇進しました。

 組織の長として課題を分析して解決する仕組みを考え、実現する経験ができたこと、しかも自由に任せてもらえたことで、女性の私でも組織を動かして結果が出せるという自信につながりました。