憧れの女性から学んだ、しなやかな生き方、働き方

──そんなニューヨーク生活時代に、転機となった経験をされたそうですね。

竹田 ロースクール修了後は、現地の法律事務所で研修するというのがその当時の多くの弁護士の留学の流れで、私は、当時所属していた事務所のニューヨークオフィスに配属されたのですが、そこで、憧れの日本人女性弁護士であるI先生と1年間一緒に仕事をすることができたのです。彼女は、まだまだ女性の社会進出が黎明期であった1970年代に、日本の弁護士として初めて米国の弁護士資格をとり、ニューヨークでパートナーとして成功した方なのですが、手厚くご指導いただきました。彼女の仕事ぶりを間近で拝見できたのは貴重な経験でした。

──憧れのI先生から学んだことはありましたか?

竹田 I先生が成功したのは、広くベースとなる知識があって、それを基に、常に時代の先を見て、その時々の世の中のニーズに合わせて対応されてきたからだと思います。当時私は30代前半で、その先の人生について考え始めていた時期で、どうやって弁護士として自分の特長を出していけばいいのだろうと結構悩んでいたのですが、彼女のしなやかな生き方を見て、なるほどと思ったのです。選択肢を1つに絞って突き進むのも1つですが、基礎知識をしっかり身に付け、どんな環境でも受身をとれるようにしておくことが、長く仕事を続けるコツだということを教えていただきました。

──ちょうどその頃、第一子のご出産も経験されているんですよね。またそこにも壁があったとか。

竹田 ニューヨークで妊娠、出産し、その後東京に戻ったのですが、子どもが生まれると、やっぱり今までのようには働けませんでした。そこでI先生にも相談したところ、「しだれ柳の様にしなやかに生きたほうがいい。棒のように突っ立って生きていると、強風が来た時に折れてしまう。あんまり踏ん張りすぎないほうがいい」と言われました。その言葉が、アクセンチュアに入るきっかけにもなったんです。

──アクセンチュアは法律事務所時代のクライアントだったそうですね。

竹田 そうです。私自身が出産後のキャリアについて悩んでいた時のクライアントがたまたまアクセンチュアで、法務部で人が足りないから出向で来てほしいという話がありました。期間は9カ月くらいでしたが、出向してすごく衝撃を受けました。私自身、会社という組織に入るのは初めての経験だったのですが、そこには、法律事務所に持ち込まれる前のもやっとした状態の案件がたくさん広がっていて、その中から問題点を見つけ出すとか、道筋を立てていくのが、私にはすごく面白く感じました。法律事務所でこれまで見てきたものは氷山の一角であることが分かったのです。そして、私がそれまで法律事務所で培ってきた交渉の経験などは、ここで生かせるのではないかと思いました。また、アクセンチュアは、その当時(2009年頃)すでに在宅勤務制度を取り入れていて、時間も自由に調整できたので、小さい子どもを抱えるワーキングマザーとしては非常に助かりました。その他にも、社内はフリーアドレスで決まった机がありませんでしたし、リモートワーク、オンライン会議など、当たり前のように取り入れていました。それを出向期間中に経験して、なんて恵まれた職場環境なのだと感心したんです。そして、出向期間中に第二子を妊娠したこともあり、出産、育休後、2011年にアクセンチュアに入社しました。

──アクセンチュア入社当時はどんな立場でどんな仕事をされていたのですか?

竹田 シニア・マネジャーとして入社し、最初は比較的大型の案件を見ていました。クライアントのところに出向いて案件の交渉をし、フィードバックをもらったらそれを社内でビジネス側と共有して、グローバルの関係者と対案を検討、それをまたクライアントに持っていくという繰り返しでしたが、ビジネス側と一緒に仕事をするのが面白く、さすがコンサルタントと思わせる彼らの話しぶりにも刺激をうけましたし、彼らも法律家である私の交渉の仕方が勉強になると、お互いにいい雰囲気で、チームで仕事ができるのが新鮮でした。そのうち7、8人の小さいチームを任されるようになったのですが、ちょうどその頃3人目を妊娠。その時の育休は4カ月で終え、早めに復帰しました。

──その後も昇進され、2017年には執行役員にもなられました。

竹田 休んでいた間に法務部のメンバー変更があったり、社長も現在の江川に変わってすぐのタイミングだったので関係性をつくらないといけないということで、それができそうな人が私であるとグローバルのリーダーたちから言われ、日本の法務部のリードという立場で復帰しました。育休明け早々、毎日2カ所の保育園に子どもの送迎をしつつ、慣れない経営会議に冷や汗をかきながら参加し、その時は結構大変でした。でも私は期待されると応えたくなるというところがあるので、きっと何とかなる、とりあえず走りながら考えてみようと思っていました。楽観的なんです。チームマネジメントのようなものを意識し始めたのはこの頃からでした。そうこうしているうちに法務部と経営層との関係性も構築でき、チームとしてのコンプライアンスを強化したり、一方で大きな案件にも取り組んでいたのですが、そういった総合的なところを評価してもらい、2017年12月にマネジング・ディレクターに昇格し、同時に執行役員にも就任しました。それはこれまでにあまりないパターンで、執行役員には、なれるとしてももう数年先かなと思っていたので正直驚きました。