2015年に新設された法人コンサルティング部の部長に、そして翌年には同社としては初の女性執行役員に就任した相幸子氏。仕事の悩みや葛藤を乗り越えた20代、子育てとの両立に全力投球した30代を経て、部長、執行役員へとステップアップする中で感じた仕事への意識や心構え、リーダーシップについて話を聞いた。
育休復帰3カ月で管理職に昇進。不安や葛藤がある言葉で救われた
――相さんは今年で入社30年目ですね。キャリアの転機はいつでしたか?
相 2回ありましたね。最初は入社の翌年、法人営業課のリレーションシップマネジャー(RM)になったときです。当時、法人融資は銀行の花形業務で男性の仕事でした。私は希望はしていましたが、まず無理かなと。それが、配属が決まり、自分も周りもびっくり。他社にも女性の法人営業はほとんどいなかった時代だと思います。ですから、お客様のところに行くと、「なんで女性が来るの?」と口には出さないものの、お顔にはハッキリと書かれていたのを思い出しますね。
私は希望が叶ったわけですが、上司にとっては間違いなくチャレンジングだったでしょう。女性の活用に積極的な上司でしたが、今の私からみてもこの決断はすごいなと思います。
お客様だけでなく社内でも「なんで女性なの?」という声があるのは予想していたので、予想どおりの反応に、「やっぱりね」と思いました。でも、そこで落ち込んでもしょうがないので、「何が起こるかわからないけど、ま、いっか」と、あまりネガティブ思考に陥らないようにしました。
――希望の職場に配属となり、その後、仕事は順調でしたか?
相 それが4、5年くらいたったころから、営業がイヤになってきて……。数字に追われる営業という仕事に疲れたんですね。それにも関わらず、営業第4部へ異動と言われたときは、じんましんが出るほど抵抗がありました。私は「もう、できない」と完全にいじけていました。
でも、このままではいけないと思ったちょうどそのとき、当時の私の力量ではハードルの高いレポート作成の仕事を与えられました。わからないことだらけでしたが、自分で調べたり上司と相談したりしているうちに、少しずつ筋道が見えてきて、気がついたらその仕事が面白くなっていました。レポート作成には半年近くかかりましたが、それだけに提出後、上司に「頑張ったね」と評価してもらえたことがうれしかった! 半年前のいじけていた自分からようやく脱出できました(笑)。
――2回目の転機はなんでしたか。
相 2004年に管理職になったときですね。実は、産休、育休の直後で元のセクションに戻って3カ月後だったんです。同じ経営企画部の中でも、これまでの企画業務とは全く違う財務の仕事。それまでの経験が全く役に立たない、チームの人の言葉が「とても日本語とは思えない」未知の世界でした。今振り返ると、その業務経験は大変勉強になるものでしたが、当時は、「どうしてよいかわからない……(涙)」と落ち込みましたね。
――育休復帰すぐに管理職昇進だったんですね。不安が大きかったのでしょうか。
相 一生懸命やらなきゃと思ったのですが、仕事そのものの内容も難しくて、なにをやっても全然進歩しない自分に悶々とする日々でした。そのとき、新任管理職研修があって、役員から出席者全員に「難しい仕事を一生懸命やっている時は螺旋階段を上っているようなもの。自分は同じ風景しか見ていないと思っていても、実はちゃんと階段を上がっているものだ。だからそのまま一生懸命頑張っていくことが大事」と言われて、涙が出るほど感動して、「ああ、救われた」と思いました。
管理職の私がチーム内で一番何もわかっていないという状況なので、ひたすら猛勉強。すると360度評価で、部下が私のことを「仕事がわかっていないみたいだけど、一生懸命やっている姿がえらいと思いました」と評価してくれて……。そういうふうに見てもらえることもあるんだと思ったら、自分なりに精いっぱいやろう、という気持ちになりました。
――その頃はまだお子さんも小さかったと思いますが、子育てと仕事をどうやって両立させていましたか?
相 たまたま私は実家も義理の両親の家も遠くなかったので、週5日のうち3日はベビーシッターに頼み、2日間は母たちが来てくれて、それで助けてもらいました。ありがたかったですね。