日本人女性たちの美を支えてきた歴史ある化粧品メーカーで辣腕を振るう、ポーラ取締役執行役員の及川美紀氏。商品企画部長としてヒット商品を生み出し、ブランド価値と企業イメージの向上にも取り組んできた。入社後まもなく本社から販売会社に出向になるという前例のないスタートから、模索しながらキャリアを築いてきた。その過程で得たリーダーシップの形とは?

入社まもなく出向。出会った人たちの言葉で転機を乗り越えた

及川 美紀(おいかわ・みき)さん
ポーラ取締役執行役員 事業本部 国内海外事業担当

1991年、東京女子大学卒業後、ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)入社。まもなく販売会社に出向し、埼玉エリアマネージャー、商品企画部長を歴任後、2012年に執行役員、14年に取締役就任

──及川さんは入社1年目で販売会社に出向をされていますね。それは異例なことだったのでは?

及川 当時、管理職以外の若手社員で出向するというのはまずないことで、女性では私が第一号でした。なぜかというと、結婚が決まった相手が同じ部署だったからです。どちらかが異動しなくてはならず、上司から夫のほうが必要だとはっきり言われ、埼玉の販売会社への出向を命じられました。それに対して、「なぜ私が?」という思いがあったのは事実。夫を恨むわけではないけれど、夫と比べられて負けたという感覚に打ちのめされました。本社の同期からも「私なら辞める」「プライドはないの?」と追い打ちをかけるような言葉をかけられましたが、出向先の社長から「君でよかったよ。みんな喜ぶと思うよ」と言ってもらえたのです。それを聞いて、必要としてくれるところがあるならば、自分の力を試してみようと思えました。 

──仕事を続けるうえで、それが最初の転機になったと言えますでしょうか?

及川 はい。出向になった瞬間というより、一緒に仕事をすることになった人たちとの出会いが転機でした。その販売会社にはショップオーナーやBD(ビューティーディレクター)と呼ばれる当社のビジネスパートナーが1000名(オーナーは200名)くらい所属していて、家庭と仕事を両立するワーキングマザーたちです。彼女たちは個人事業主なので、1日1日が真剣勝負で、本社から来た社員に対しても率直に意見し、育ててくれる気風がありました。

──なるほど。それまでとはまったく異なる環境に飛び込んだわけですね。

及川 入社1年目で何もできない私にも、いい時はすごく褒めてくださるし、ダメな時はすかさずダメ出しされる。本社から来ているから、大卒だからといったことはいっさい関係なく、「及川美紀という人間がどういう姿勢で仕事をしているか」だけを見て評価してくれました。「お給料をもらうため」に入社した私がいきなり魂のぶつけ合いのような経験をすることになったわけです。でも、そこで鍛えられたことで仕事の軸ができた。そう思っています。

──17年間に渡って販売会社での仕事を続けられたということですが、「辞めたい」と思ったことは一度もありませんでしたか?

及川 辞めたいと思ったことがまったくないと言えば嘘になりますが、本気で転職を考えたことはありませんでした。後から入ってくる人たちへの責任もあるし、私がいないとこの販売会社はだめになるという、幸せな誤解をしていました(笑)。そんな誤解は、若い頃には必要なのかもしれません。でも、私の場合はそれが悲劇も生むことになってしまうのですが。

──悲劇ですか?

及川 ええ。お山の大将になってしまったんです。上司の言うことを聞かない、手に負えない社員に。そんななか、課長昇格の試験を受けることになりました。本社にいる同期より苦労していると思っていたし、「数字を出している」という自負もありました。だから、「課長になれないなんてありえない」くらいの鼻息で。ところが、見事に落ちてしまったのです。「ちゃんと見てくれないから」「指導されていないから」と当時の上司のせいにして、ますます手に負えない感じに。「グレた」という言葉がぴったりでした。それが、半年くらい続いたでしょうか。

──半年もの間、グレていたのですね。立ち直ったきっかけは何だったのでしょうか。

及川 私のことをずっと見ていてくれた母のような存在のビジネスパートナーから呼び出され、「見ていられないわ。いったい、どこまで落ちていくの? 私たちの期待を裏切らないでちょうだい」と言われたのです。すごくショックだったのと同時に、見ていて叱ってくれる人がいることが有り難かった。そして、「期待を裏切らないで」ということは、私に期待をしてくれているということかと気づき、一気に憑きものが落ちたようになりました。

──最初の転機に続き、出向先で出会った人にまたしても助けられたわけですね。

及川 そうですね。それで上司のもとに行くと「いつ気づくかと思っていた」と言われ、さらに「君は、本当は何がやりたいの?」とたずねられて。その問いに「私はこの事業所を一流の組織にしたいです。そのためには人材獲得と人材育成を私にやらせてくれませんか」とフッと口をついて出ていました。そうしたら、「いいよ。来年からやれば?」と。そのためにはもっと勉強しないといけないと、それまで手に取らなかったような本も読むようになり、課長昇格試験にもう1度チャレンジしました。1年前の試験ではそれまでやってきたことしか語らなかった私でしたが、2回目の試験の場には、これからやりたいことについて熱く語る私がいました。出向して10年。グレて、人の手によって立ち直って、自分のやりたいことに気づくことができた。それが、2つめの転機と言えると思います。