ビジネススクールに通って管理職に開眼。役員で出産も経験

──実際に管理職になって気づいたことはありましたか。

山崎 管理職になると、会社の意思決定をする会議に出席します。私はそういう席で、広告宣伝部の代表として主張はできるのですが、議論に参加できなかった。他の人たちが語る言語がわからなかったのです。それは、私に会計の知識がなかったからです。言葉が分からないから会議の間中黙っているしかないのですが、それは私にとってすごくつまらないことでした。私も意見を言いたい、会社全体を見渡せるようになりたい。それには、この人たちが話している言語を知るしかない。そう思ってビジネススクールに通い始めたのが30代前半でした。

──会社全体を見渡したいという思いはどうして生まれてきたのですか。

山崎 それまでに何度も痛い思いをしてきて、会社や仕事を部分的にしか見ていない、見えていなかったからだということが分かったからだと思います。まだまだ私の知らない世界がいっぱいある。私が会社の中で許せないと思っていたことは、私個人の主張にしかすぎない。会計のことを知らないから、なぜお金を使わせてくれないのかと思ってしまう。ぶつかってくる相手の言語がわからないから衝突する。それが分かるようになれば無駄ないさかいはなくなるだろうと。だから勉強したのです。根本的に、ケンカには負けたくないんです。勝つためには、相手の言語を勉強するのも、身を引くのもあり。勝ち方にこだわりはありません。結果的に勝てればいい、自分が納得できればいいと思っています。

──その後山崎さんは、経営企画部部長を経て、女性初、最年少で執行役員に就任されました。また、そのポジションでご出産も経験されています。管理職でも出産ってできるものなのですね。

山崎 管理職でも出産はできます。むしろコントローラビリティが高い。自分自身に裁量があるので、いつからいつまで働いて休むというのが決められるじゃないですか。指示命令される立場の方が難しいと思います。実は私は、出産によるブランクはあまりないのです。最初から長くは休まないと決めていて、後任を立てずに休んだので、産後2カ月くらいで復帰しました。当時は、経営戦略本部の副本部長という立場で仕事をしていたのですが、ラッキーなポジションでした。私がいない間は、本部長に対応していただくことで、2カ月くらいだったら大丈夫だろうということになったのですが、結果的には休んでいる間も大量のメールが送られてきました。一方で、出産後の環境整備に対してはものすごく準備や努力をしました。親に上京してもらうとか、生後48日から預けられるところを探すなど、いかにスムースに復帰するかを考えていました。でもやっぱり、復帰初日からフルタイムで仕事をするなんていう無茶はしない方がいいですね。

──それほどまでの仕事に対する熱意はどこから生まれてくるのでしょうか。

山崎 私としては、そんなに一生懸命にやっているつもりはないんです。仕事以外に趣味がない、ほかに楽しみがないからでしょうか(笑)。

──仕事をしていて嫌だと思うことはないのですか。

山崎 もちろん嫌なこともいっぱいあります。毎朝見るメールの1割くらいは嫌なこと。でも、嫌なことをなくそうとは思っていないのです。管理職に就くと、常に一定割合で、積み残している課題とか、できていないこと、外圧などがあります。それをゼロにしようとするとものすごくストレスを感じる。だから私は、面倒なことや嫌なことがある中で、どうやったらいいコンディションを保つかを考えるようにしています。これは野球のイチロー選手から学びました。大事なことは平常心。一発打ってやる!ではなく、体調がいい時も悪い時もコンスタントに打率を高く保ちたいです。