2010年、日本航空(JAL)の経営破綻という緊急事態の直後に執行役員に選任され、その6年後には同社としては女性で初めての、代表取締役専務執行役員になった大川順子氏。客室乗務員から管理職、そして経営サイドへとキャリアアップするなかで確立した、リーダーに求められるマインドセットとリーダーシップのあり方について、話を聞いた。

月20日間日本に不在の国際線乗務と育児を両立させて

――大川さんは東京理科大学のご出身ですが、理系の学生がJALの客室乗務員になるというのは珍しかったのではないでしょうか。

大川 そうですね。学生時代は将来研究者になろうと思っていましたから。ところが、その頃は就職難で、あるとき、成田空港が開港してJALが客室乗務員を多数採用するということを知り、何か仕事をしたいと応募したら採用された、というのが入社の理由です。

 大学4年間は白衣を着て実験づけの毎日でしたから、入社後の地上業務研修で空港のカウンターに立ったのが、生まれて初めての接客体験でした。自分でも意外ですが、このとき「この仕事って楽しい!」と感じ、これまで気づかなかった「新たな自分」を発見した思いでしたね。

――女性活躍で大きな課題となるのは育児と仕事の両立です。大川さんの場合はどのように両立していましたか。

大川 入社以来ずっと国際線に乗務していました。1カ月のうち20日間は日本に不在でした。月に10日しか家にいない母親がどうやって子どもを育てていったらいいのか…。正直大変な思いはありました。私の場合、子どもは保育園にお世話になりましたが、園の時間帯以外で私の不在の時は先生の一人が子どもを預かってくれたことが、本当にラッキーでした。さらに、子どもが病気の時のために、あらかじめ病児保育のベビーシッターにも登録しておきました。「これがダメなら、これ」という感じで、幾重にも子どもを預けるしくみを整えて、フライトに穴があかないようにしました。

 「人の3分の1しか子どもと一緒にいられないんだったら、人の3倍ハグすればいい。」

 保育園の園長先生のこの言葉には救われましたね。私が一番悩んでいるときだったので、この言葉で納得できました。罪悪感や迷いもなくなりました。

大川順子(おおかわ・じゅんこ)
日本航空 取締役副会長


1978年東京理科大学薬学部卒業。同年6月から、国際線の客室乗務員としてキャリアを重ねる中、機内サービス部長、客室品質企画部長等を歴任し、安全運航とサービスの向上に力を注ぐ。2010年1月、同社は経営破綻を迎えたが、その翌月、執行役員客室本部長に就任、経営再建を担う重責を負った。その後、常務執行役員、専務執行役員等を経て、16年には代表取締役専務執行役員に。コミュニケーション本部長として、JALのさらなる価値の向上を目指し、18年4月より女性初の取締役副会長に就任。

――もともと管理職志向はありましたか?

大川 正直、若い頃はそういう気持ちはありませんでした。機内での仕事をしっかりやって、お客さまに喜んでいただくことが日々の目標でした。

 ただ、40代で教官職や地上での仕事の機会に恵まれ、部下の教育をしたり、機内のサービスを企画したりしたとき、これまでは「会社が決める」と思っていたことを「自分が決める立場なんだ」ということに気づいてからは、意識が変わってきました。

 自分が決めたことを実行できるという経験を重ねるうちに、管理職になることは単なる昇格ではなく、「非常に責任があり、やりがいがある!」と思うようになっていきましたね。役職が上がっていくということは、後輩のため、会社のため、もちろん自分のため、もっと大きく言えば社会のためになる。それほど大切なことをやっているという自覚がしっかりと持てるようになったのは、40代半ば、マネジャーになったころからですので、ずいぶん遅いですけれど。