男性社会で女性の昇進には「ガラスの天井」があると言われてきた金融業界で、ここ数年、女性役員が次々と誕生している。そして、昨年の4月に大和証券グループ本社の副社長に田代桂子さんが就任したことは、大きなニュースになった。男女雇用機会均等法の第一世代として、ひとつの会社で働き続けてきた田代さんに、仕事への向き合い方、働く女性たちへのエールを伺った。

意識することも、我慢することもなかった。だから、壁にぶつかったこともない

──田代さんには「生え抜きの」という言葉がついて回りますが、就職先に証券業界を選んだ理由、そして、大和証券を選んだ理由は何だったのでしょうか。

田代 すごく深い理由があった訳ではなかったのですが、証券業は「動くものなので、面白い」と思ったのが一番大きかったかもしれません。私は早稲田大学在学中、仲間たちと一緒に「女子学生による、女子学生のための就職情報誌である『私たちの就職手帖』の制作に打ち込んでいたので、大学1年の頃から、就職については意識していました。私が入社したのは、ちょうど男女雇用機会均等法が施行された1986年。就職活動をしたのはその前年で、まだ法律が整っておらず、均等法を意識している会社とまったく考えていない会社があって、大和証券は比較的よく考えている印象でした。それが、この会社を選んだ大きな理由です。

<b>田代桂子(たしろ・けいこ)さん</b><br>株式会社大和証券グループ本社 取締役兼執行役副社長(海外担当)<br>1963年生まれ。1986年早稲田大学卒業、同年大和証券に入社。1991年米スタンフォード大学MBA。2009年大和証券執行役員、2013年大和証券グループ本社常務執行役員、米国子会社会長。2014年に生え抜き女性として同社初の取締役。2019年4月から現職
田代桂子(たしろ・けいこ)さん
株式会社大和証券グループ本社 取締役兼執行役副社長(海外担当)
1963年生まれ。1986年早稲田大学卒業、同年大和証券に入社。1991年米スタンフォード大学MBA。2009年大和証券執行役員、2013年大和証券グループ本社常務執行役員、米国子会社会長。2014年に生え抜き女性として同社初の取締役。2019年4月から現職

──入社後は社内留学制度を使ってスタンフォード大学で学び、その後はシンガポール、ロンドン、米国と、国際畑を歩まれているように見えますが、入社当初から海外に関わる仕事を希望されていたのですか?

田代 まったくそんなことはなかったです。私は帰国子女なのですが、英語が得意だからと英語を使うのは安易すぎると考え、あえて「英語を使わない仕事に就きたい」と言いました。あまのじゃくな性格だったので(笑)。でも実際には、研修後に海外に関わる仕事に配属されました。

──留学したことや海外勤務をしたことは、働き続けるうえで転機になりましたか?

田代 転機というより、考え方が変わったというのはあります。「世の中、何でもありだな」と考えるようになりました。いろいろな人がいて、いろいろなバックグラウンドがあって、いろいろな経験をしている人がいる。だから、いろいろな考え方がある。日本は結構画一的なので、海外に出ることで、それを改めて認識し、「決まったものは何もない」と考えるようになりました。

──その後、キャリアを積み重ねる中で、壁にぶつかった時期はありましたか?

田代 結婚や子育てというライフイベントがなかったからかもしれませんが、振り返ってみてもないんです。男性の同期と同じように3年目で留学をし、海外に転勤になって6年間赴任し、その後、日本に戻って異動も経験し、同じタイミングで昇給昇格もしています。女性だからということを意識することも、我慢することも特にありませんでした。日頃から「こういうことがやりたい」と、思ったことはかなり積極的に言っていたので、上司も私が「何をしたいか、何が嫌か」を分かってくれていたというのもあると思います。