営業から管理職、そして社長へ。何事も躊躇せず受け入れる

──東日本大震災後、経営改革本部に異動されています。これは、ご自身で希望されてのことだったのですか。

長﨑 私はこれまで異動に対して希望が通ったことはないんです。この部署は、国からの出資が入った関係で新しくできた部署で、社外の方10人、社内のプロパー10人で構成されたのですが、社内からのメンバーも、私以外の9人は本社の企画経験者。それまで現場の営業担当だった私になぜ?と大変驚きました。会社全体としても、「長﨑って誰?」みたいな、本当に異色の人事だったと思います。

──大変な状況の中でのこの異動に対し、長﨑さんご自身の中で尻込みしてしまうなどはなかったのでしょうか。

長﨑 私は、自分のことは自分では分からないと思っています。じゃあ、自分というものはどこにあるのかというと、他人から見た自分こそが世の中に存在する自分なのだと思うのです。世の中の人たちが、そっちの方が能力を発揮できると思うのであれば、それはきっと正しい。自分は一生懸命やっていると思っていたとしても、世の中の人がダメだと言っているならやっぱりダメなんです。本当に自分に向いていることなんて、やってみないと分からない。ですから、そこで躊躇するということはないです。やってみて嫌だったら辞めればいいだけ。この時も、きっといい経験ができると思いました。実際にはいろいろと大変でしたけれど、震災後の状況の中で関わらせてもらえた幸せみたいなものを感じました。

──その後は、東京電力エナジーパートナーで管理職、2017年にはテプコカスタマーサービスの社長に就任されました。この大躍進に対し、ご自身ではどんなお気持ちだったのでしょうか。

長﨑 電力自由化対応の部署のマネージャーを経験し、翌年ガス自由化対応の部署のマネージャーも兼務になり、販売開始できたと思ったらいきなり社長で、すごく驚きました。でも、これから伸びていくであろう会社でもありましたので、気負いよりも楽しみの方が大きかったです。社長就任が決まって最初にやりたいと思ったことは、テプコカスタマーサービスのホームページのリニューアル。お客さまにとって使いにくいサイトだと感じたので、「これは一番初めにホームページを変えなくては」と。

──社長になられて、やはり見える景色は変わりましたか。また、ご自身に変化はありましたか。

長﨑 社長という立場は、やはりそれまでとは全然違いました。自分自身の人生においても、かなり衝撃的な変化をもたらしました。それまで私は自分のために働いていたんです。目の前のことを努力してやっていることが楽しい、これができるようになると自分の成長を感じられてうれしい、そういう動機で働いていました。社長になって初めて、会社の成長のために働きたい、社員を幸せにしたいと、心の底から思ったのです。どちらかというと私はコミュニケーションが下手で、あまり他人に自分を見せるタイプではありません。でも、社員を幸せにするためには、社員のことを知らなければならない。社員に心を開いてもらうためには、私がクールなふりをしていてはダメ。オープンになって、自分をちゃんと知ってもらおう。そういう気持ちになりました。また、猛烈な利益プレッシャーだったり、あらゆる意見を聞くけれども決めるのは私、責任をとるのは私という経験もしました。以前、得意先の社長が「副社長から社長になるのは、係長から専務になるくらいのジャンプで覚悟がいる」という話を伺ったことがあったのですが、まさにそれを実感しました。本当に何もかも違いました。でも、少し時間を経た頃には、この異動を決めてくれた人に感謝したいなと思いました。